■ 大前研一塾長の提言! ≪ 安藤忠雄 ≫ × ≪ 大前研一 ≫
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■ 大前研一塾長の提言! ≪ 安藤忠雄 ≫ × ≪ 大前研一 ≫
『 戦国武将の競争の精神に学べ!
~ 世界に名を馳せる二人が見ている日本とは? 』
※「VOICE」2010年4月号に掲載された記事を編集したものです
──────────────────────────────────
■繁栄するアジア、置き去りの日本
安藤:ここ20年くらい、欧米での仕事が多かったのですが、
4~5年前から、中国、韓国、台湾、アブダビ(UAE)、
バーレーンといった国からの依頼が徐々に増えてきて、
昨年4月頃からはとくに多くなっています。
しかし一方、日本からはこの1年間、依頼があまり
ありません。秋田県で藤田嗣治作品を展示する県立
美術館、以前上野でつくった国立国際子ども図書館の
増築をするくらい。世界が猛スピードでエネルギッシュ
に変わっていくなかで、日本だけが止まっている印象を
受けてしまいます。
大前:1970年代には日本にもスピード感があって、アメリカ
から「やがて追いつかれる」と怒られたほどでした。
ところが90年代に入って経済成長が止まる。それから
15年間、GDP(国内総生産)の伸びは完全に平らです。
あらゆる統計を見ても、国としての日本のピークは95
年。それ以降、平均所得は下がりつづけ、GDPも円高の
状況下、ドル換算でも伸びていません。これは先進国
に共通の現象化と思いきや、アメリカやヨーロッパの
国々はこの間も成長を続けている。原因をきちんと
分析・把握して政策を考えなければなりませんが、
日本の政治家にはそれができていません。
安藤:当時の日本の勢いは大変なもので、同じようなエネル
ギーを司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』からも感じます。
あるいは敗戦から5年くらいたって日本へ来た外国人も、
「この国は必ず復活する。日本人はとてもよく働き、
そして子供の目は輝いている」といったそうです。
しかし平成の日本を見てみると、大人はほどほどにしか
働かず、完全に目標を見失っている。
たしかにまだ建築設計や土木技術において、日本は世界
有数のレベルを保っています。ところが社会としての
勢いがないから、その優秀さを生かしきれていない。
私の事務所が担当する日本の建築現場には中国や韓国、
台湾の人たちがよく視察に来ますが、現場で「そっちに
行ってはいけませんよ」というと、逆に必ずその方向へ
行こうとする(笑)。
「何か隠しているのではないか」「面白いものがあるの
ではないか」というわけです。
ところが日本人に同じことをいっても、まったく反応が
ありません。いわれたとおり、整然と歩くだけ。よく躾
られていて、感覚が大人なのかもしれませんが、とかく
パワーを感じられない。
おそらくまだ日本人の多く、とくに50代以上の人は、
わが国はアジアのトップクラスに位置していて、指導的
立場にあると思っているのでしょう。しかし実際にアジア
で仕事をしていると、日本だけが置き去りにされている
ことを痛いほど感じるのです。
■道州制でこの国を目覚めさせよ
大前:もはやこの国がスペインやポルトガルのように何百年にも
わたって長期衰退する道を避けるためには、人々や社会の
エネルギーを開放するかたちに統治機構を変えるしかない
でしょうね。
そこで重要になるのが「競争」です。そして、ここでも
「なぜ中国はこれほど元気なのか」を考えることがヒント
になります。中国の政治体制はいまだ完全に中央独裁ですが、
経済運営についてはその全権限が市長に委ねられている。
先ほど98年以降、中国が大きく変わった、と述べたのは、
当時の首相である朱鎔基が「8パーセント以上成長すること」
「暴動など社会不安を起こさないこと」「腐敗をしないこと」
という「三つの約束」を果たすかぎり、
経済運営に関する全政権を市長に委譲する、としたからです。
その結果、よい意味で市長同士が競争するようになった。
安藤さんが中国で引っ張りだこなのは、「安藤忠雄の作品が
欲しい」とA市長がいえば、「われも負けじ」と他が追随
するからです。私もいま中国の11の市長から「経済顧問に
なってほしい」と頼まれれていますが、私が大連市のソフト
パーク化で8万人の雇用を創出した、という中央電視台
(CCTV)の番組を見て、そのような声が一斉に掛かるわけです。
土地の使用法も含めて、市長の権限はほぼ無限です。
外国からのお金も、市民からの税金も、国ではなく市に入る。
市長はそれを使ってより競争力を高めるかたちでインフラや
ハコモノをつくる。この仕組みこそ、98年からわずか12年で
中国経済がここまで成長したいちばんの理由です。
翻って日本の場合、すべて中央が物事を決めようとして、
結果的にがんじがらめになっている。地方分権といいながら、
その地方には財源も、権限もない。そう考えればやはり
「道州制を導入せよ」が結論となります。
安藤:ちょうど私も先日、韓国の財閥系企業から、済州島で美術館
をつくってほしい、という依頼を受けました。
そのダイナミックさを目の当たりにすると、やはり中国や
韓国や台湾は「生きている」という印象を受けます。
一方で何度もいいますが、日本は眠っている。もう30年以上
眠りつづけているわけです。さすがにもうそろそろ、目覚め
なければいけません。そのためにも道州制の実施は一つの
切り札になるでしょうね。
大前:このような話をすると、「では戦いに勝てなかった道州はどう
なるんだ」という話が出てくる。日本ではいつも、弱者救済の
話が先に立つわけです。しかしそうやって負けたものばかりを
助けていくうち、真に勝つものが出てこないために国全体が
没落する。受け取るお金の競争ではなく、自分がどういう経営
をしたいか、どのようにして世界から富を呼び込んだか、と
いうことを競わせる、日本に残された道はこれしかありません。
そういう意味で、安藤さんは先ほど理想として『坂の上の雲』
の明治時代を挙げられましたが、私は日本がいちばん元気の
よかった時代は戦国時代だと思っています。当時はもちろん建築
基準法などありませんでしたから、戦国武将は思い思いに
それぞれの城をつくることができた。織田信長の安土桃山時代の
原図を見れば、治水や山のかたち、敵の襲来などを考えた非常に
優れたものだとわかります。そうやって文字どおり、生死を懸け
た競争を行ったからこそ、当時の日本の建築技術は世界最高の
水準を誇った。姫路城などはいまでも世界から礼賛されている。
江戸時代以降は日本はずっと中央集権のままですから、めざす
べきはやはり戦国時代でしょう。そしてまさにいま、中国の
各市長はこのような群雄割拠の戦いを繰り広げているわけです。
安藤:そうですね、中国などの会議に出ると、たとえその場にトップが
いても、設備技術者、構造技術者、法律家などがガンガン議論を
戦わせます。闘争的な会議をしながら物事を前に進めていく
わけですね。日本の場合はトップがいると、その人に遠慮して
会議にすらならない。そういう心理的な意味でも、戦国時代、と
いう言い方がぴったりくる。
いまこそかつての「活力ある日本」を取り戻すにはどうするか、
エネルギーのある中国、韓国、台湾などのアジア諸国とどう
関わり、そのパワーをいかに取り込んでいくかを議論しなければ
ならないでしょう。残された時間はもうあまりないのですから。
ここまで。
■ 大前研一塾長の提言! ≪ 安藤忠雄 ≫ × ≪ 大前研一 ≫
『 戦国武将の競争の精神に学べ!
~ 世界に名を馳せる二人が見ている日本とは? 』
※「VOICE」2010年4月号に掲載された記事を編集したものです
──────────────────────────────────
■繁栄するアジア、置き去りの日本
安藤:ここ20年くらい、欧米での仕事が多かったのですが、
4~5年前から、中国、韓国、台湾、アブダビ(UAE)、
バーレーンといった国からの依頼が徐々に増えてきて、
昨年4月頃からはとくに多くなっています。
しかし一方、日本からはこの1年間、依頼があまり
ありません。秋田県で藤田嗣治作品を展示する県立
美術館、以前上野でつくった国立国際子ども図書館の
増築をするくらい。世界が猛スピードでエネルギッシュ
に変わっていくなかで、日本だけが止まっている印象を
受けてしまいます。
大前:1970年代には日本にもスピード感があって、アメリカ
から「やがて追いつかれる」と怒られたほどでした。
ところが90年代に入って経済成長が止まる。それから
15年間、GDP(国内総生産)の伸びは完全に平らです。
あらゆる統計を見ても、国としての日本のピークは95
年。それ以降、平均所得は下がりつづけ、GDPも円高の
状況下、ドル換算でも伸びていません。これは先進国
に共通の現象化と思いきや、アメリカやヨーロッパの
国々はこの間も成長を続けている。原因をきちんと
分析・把握して政策を考えなければなりませんが、
日本の政治家にはそれができていません。
安藤:当時の日本の勢いは大変なもので、同じようなエネル
ギーを司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』からも感じます。
あるいは敗戦から5年くらいたって日本へ来た外国人も、
「この国は必ず復活する。日本人はとてもよく働き、
そして子供の目は輝いている」といったそうです。
しかし平成の日本を見てみると、大人はほどほどにしか
働かず、完全に目標を見失っている。
たしかにまだ建築設計や土木技術において、日本は世界
有数のレベルを保っています。ところが社会としての
勢いがないから、その優秀さを生かしきれていない。
私の事務所が担当する日本の建築現場には中国や韓国、
台湾の人たちがよく視察に来ますが、現場で「そっちに
行ってはいけませんよ」というと、逆に必ずその方向へ
行こうとする(笑)。
「何か隠しているのではないか」「面白いものがあるの
ではないか」というわけです。
ところが日本人に同じことをいっても、まったく反応が
ありません。いわれたとおり、整然と歩くだけ。よく躾
られていて、感覚が大人なのかもしれませんが、とかく
パワーを感じられない。
おそらくまだ日本人の多く、とくに50代以上の人は、
わが国はアジアのトップクラスに位置していて、指導的
立場にあると思っているのでしょう。しかし実際にアジア
で仕事をしていると、日本だけが置き去りにされている
ことを痛いほど感じるのです。
■道州制でこの国を目覚めさせよ
大前:もはやこの国がスペインやポルトガルのように何百年にも
わたって長期衰退する道を避けるためには、人々や社会の
エネルギーを開放するかたちに統治機構を変えるしかない
でしょうね。
そこで重要になるのが「競争」です。そして、ここでも
「なぜ中国はこれほど元気なのか」を考えることがヒント
になります。中国の政治体制はいまだ完全に中央独裁ですが、
経済運営についてはその全権限が市長に委ねられている。
先ほど98年以降、中国が大きく変わった、と述べたのは、
当時の首相である朱鎔基が「8パーセント以上成長すること」
「暴動など社会不安を起こさないこと」「腐敗をしないこと」
という「三つの約束」を果たすかぎり、
経済運営に関する全政権を市長に委譲する、としたからです。
その結果、よい意味で市長同士が競争するようになった。
安藤さんが中国で引っ張りだこなのは、「安藤忠雄の作品が
欲しい」とA市長がいえば、「われも負けじ」と他が追随
するからです。私もいま中国の11の市長から「経済顧問に
なってほしい」と頼まれれていますが、私が大連市のソフト
パーク化で8万人の雇用を創出した、という中央電視台
(CCTV)の番組を見て、そのような声が一斉に掛かるわけです。
土地の使用法も含めて、市長の権限はほぼ無限です。
外国からのお金も、市民からの税金も、国ではなく市に入る。
市長はそれを使ってより競争力を高めるかたちでインフラや
ハコモノをつくる。この仕組みこそ、98年からわずか12年で
中国経済がここまで成長したいちばんの理由です。
翻って日本の場合、すべて中央が物事を決めようとして、
結果的にがんじがらめになっている。地方分権といいながら、
その地方には財源も、権限もない。そう考えればやはり
「道州制を導入せよ」が結論となります。
安藤:ちょうど私も先日、韓国の財閥系企業から、済州島で美術館
をつくってほしい、という依頼を受けました。
そのダイナミックさを目の当たりにすると、やはり中国や
韓国や台湾は「生きている」という印象を受けます。
一方で何度もいいますが、日本は眠っている。もう30年以上
眠りつづけているわけです。さすがにもうそろそろ、目覚め
なければいけません。そのためにも道州制の実施は一つの
切り札になるでしょうね。
大前:このような話をすると、「では戦いに勝てなかった道州はどう
なるんだ」という話が出てくる。日本ではいつも、弱者救済の
話が先に立つわけです。しかしそうやって負けたものばかりを
助けていくうち、真に勝つものが出てこないために国全体が
没落する。受け取るお金の競争ではなく、自分がどういう経営
をしたいか、どのようにして世界から富を呼び込んだか、と
いうことを競わせる、日本に残された道はこれしかありません。
そういう意味で、安藤さんは先ほど理想として『坂の上の雲』
の明治時代を挙げられましたが、私は日本がいちばん元気の
よかった時代は戦国時代だと思っています。当時はもちろん建築
基準法などありませんでしたから、戦国武将は思い思いに
それぞれの城をつくることができた。織田信長の安土桃山時代の
原図を見れば、治水や山のかたち、敵の襲来などを考えた非常に
優れたものだとわかります。そうやって文字どおり、生死を懸け
た競争を行ったからこそ、当時の日本の建築技術は世界最高の
水準を誇った。姫路城などはいまでも世界から礼賛されている。
江戸時代以降は日本はずっと中央集権のままですから、めざす
べきはやはり戦国時代でしょう。そしてまさにいま、中国の
各市長はこのような群雄割拠の戦いを繰り広げているわけです。
安藤:そうですね、中国などの会議に出ると、たとえその場にトップが
いても、設備技術者、構造技術者、法律家などがガンガン議論を
戦わせます。闘争的な会議をしながら物事を前に進めていく
わけですね。日本の場合はトップがいると、その人に遠慮して
会議にすらならない。そういう心理的な意味でも、戦国時代、と
いう言い方がぴったりくる。
いまこそかつての「活力ある日本」を取り戻すにはどうするか、
エネルギーのある中国、韓国、台湾などのアジア諸国とどう
関わり、そのパワーをいかに取り込んでいくかを議論しなければ
ならないでしょう。残された時間はもうあまりないのですから。
ここまで。
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