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タリーズコーヒージャパン株式会社 代表取締役社長、松田公太氏 vol.1

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◇タリーズコーヒージャパン株式会社 
     代表取締役社長、松田公太氏(以下、敬称略)の場合

  1997 年、29 歳の時にスペシャルティコーヒー店タリーズ
 コーヒー 1号店を銀座にオープン。 2001年、飲食業界最速で
 株式上場を果たす。

 都市銀行勤務時代にシアトルでタリーズの魅力に惹きつけられ、
 様々な困難を乗り越え無謀とも思える契約を取り付けた。
 そして、後発組みとして新しいコーヒー文化を作り上げつつある。

 金なし、コネなしのサラリーマンだった松田氏が如何にして
 起業し、どんな思いでタリーズを事業展開していったのかその
 起業物語の源泉に触れる。

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*生い立ち

「自分で事業を始めるということを初めて意識したのは、中学生の頃だ
った。その当時、思い描いたのはすし屋だった」と言う。アメリカに住
んでいた中学生の頃、友人を家に招くと、刺身とすしが大好物だった母
は日本食でもてなしてくれた。

しかし、ハンバーガーやピザで育ったアメリカの若者には、日本料理の
繊細さを理解するのは難しかったようで、いつしか松田は悪友たちから
「公太は生魚を食ってるヘンな奴だ」と揶揄され始めた。

“いつかあいつらに、すしや刺身のおいしさを認めさせたい”松田は、
そう意を強くした。そして自分で将来、すし屋を開店したいと考えるよ
うになった。

「ボクがすし職人になるよ」という、母親思いの弟と兄弟2人で夢を膨
らませていた。ネタの魚は水産会社に勤める父を通して手に入る。そし
ていつかチェーン展開に乗り出し、アメリカ中の人にすしや刺身のおい
しさを伝えて行きたい・・・。

 しかし、松田が大学進学を機に日本へと戻った後、アメリカで、すし
ブームが起きてしまった。結局、弟と語り合った「全米すしチェーン」
の構想は夢に終わったが、大学を出て銀行に就職してからも、「食に関
わる分野で起業したい」という気持ちは持ちつづけていった。

 「食」というのは全ての文化のベースになっており、食文化が国際交
流に果たす役割は極めて大きい。松田が外国でバカにされた「刺身」に
しても、それが「うまい」となれば、自分への見方、ひいては「日本」
全体に対するイメージまで違ってくるはずだ。

日本食の伝道師となって日本をもっと理解してもらいたい。また、海外
の食べ物を日本に広めることでその国との交流を促したい。
そして、いつしかそれが松田自身の“使命”ではないかと、考えるよう
になっていった。。

              *文章はABS講義テキストより抜粋


↑を受け、以下について考えてみてください。
             そして是非、書き出して見て下さいね。
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  ◇TRY1
   あなたが、子供のころに抱いた、強い思いを思い出して下さい。

  ◇TRY2
   TRY2で思い出したことを、高邁な「ビジョン」に言い換える
   とどんなキーワードが出てきますか?

  ◇TRY3
   あなたが今の仕事を選んだ理由と、将来ビジョンとのつながり
   はどのようなものですか?

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次回は、「就職活動とタリーズとの出会い」をお届けいたします。

*松田氏のABSでの講義録は以下にあります。↓
 http://www.attackers-school.com/site/absmm1012.htm

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この文章は大前研一のアタッカーズ・ビジネススクールが発行するメルマガ【情熱DNA】(まぐまぐ殿堂入り)にて配信した内容です。ご登録いただければ毎週水曜日、お手元に届きます。こちらから
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