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杉田玄白と前野良沢 (日本 江戸時代) 18世紀後半

第七回目は、日本の西洋医学・学問の発展に大変大きな影響を与えた
杉田玄白と前野良沢の功績を取り上げます。

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第七回 ~ゼロから1を生み出す執念~
 杉田玄白と前野良沢 (日本 江戸時代) 18世紀後半
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今まで、この連載で取り上げてきた人々は、一時代を築いた大英雄、
それぞれの時代の主役とも言うべき人たちが多かったかと思います。

今回は、英雄も、軍事的天才も、カリスマも登場しません。
しかし、日本の歴史にとっては非常に大きな功績を残した人たちの
努力と執念について考えてみたいと思います。


ご存知のとおり、江戸時代の日本は、鎖国状態であり、一般の人々は
西洋の文物に触れることを著しく制限されていました。

したがって、西洋で発達した学問や科学技術の成果から
日本は取り残されており、唯一交易を許されたオランダから伝わってくる
数少ない情報を元に、世界の出来事を把握しなくてはならなかったのです。


そのような状況で、医者の杉田玄白と前野良沢は、オランダの人体解剖の
解説書「ターヘル・アナトアミア」を入手し、図説と実物とを見比べる
ために、死体解剖の現場に立会い、そしてその図説の正確さに驚愕しました。

同時に日本で伝統的な漢方医学の限界も知ることになり、二人はこの
「ターヘル・アナトミア」を翻訳することこそ、日本医学の発展に必要な
ことであると深く認識したのです。

しかし、鎖国状態の日本では、一部の通訳が会話をできる程度で、体系的に
蘭(オランダ)語を理解する人はいるわけもなく、辞書なども当然ありません。

1語1語暗号を解読するごとく読み解いていかなくてはならなかったのです。
手がかりは、意味が分かっている数百語の単語と、オランダの国語辞典のみ。

さらに絶望的な困難は、当時の日本国内に、この二人、特に語学力に優れた
前野良沢以上に、蘭語に詳しい人は一人もいないという事実です。

まさに何もない状態から、「有」を生み出さなければならなかったのです。


このような状況の中、二人とその仲間たちは、数少ないヒントを元に、
地道に訳を考えていきました。。


皆さんも想像してみて下さい。中学校時代に、英語の本を目の前にして、
英和辞典もなしに、一人で訳せといわれて、やり遂げる事ができたでしょうか?

しかし彼らは決してあきらめることなく、日本の医学の発展を夢見て、
実に足かけ4年にもわたる努力の末、ついに「ターヘル・アナトミア」の
翻訳「解体新書」を完成させたのです。


この業績は日本の医学を大きく発展させました。「神経」「軟骨」などの
言葉は、この「解体新書」から新しく作られたものです。

また、語学の分野への貢献に対しても非常に大きなものがありました。
解体新書以後、蘭学熱が高まり、二人の弟子たちが中心となり、蘭語学習の
入門書や、待望の蘭日辞典などが編纂されるようになったのです。

これにより、海外の学問・技術の吸収力が高まり、西洋事情に通じた人材が
育つことで、後に、幕末の西洋列強が来航した際にも、列強の言いなりには
必ずしもならなかったのも、おおもとをたどれば、「解体新書」の功績が
非常に大きいといえるでしょう。

今の日本があるのも、杉田玄白と前野良沢達が「ゼロから1」を生み出す
ために、執念を持ち続けてくれたおかげといえるのではないでしょうか。



◎ここで、歴史は皆さんに問いかけます・・・。

 是非、少し時間をとって考えてみてください。
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 ・あなたが「ゼロから1」を生み出そうとするとき、
  どのような困難が待ち受けていますか?

 ・あなたはどんなことなら、あきらめずに執念を燃やし続ける
  ことができますか?

 ・あなたが「ゼロから1」を生み出すために、
  杉田玄白と前野良沢の二人から何を学びますか?

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*参考文献:
・『解体新書-蘭学をおこした人々』(小川鼎三、中公新書)
・『蘭学事始』(杉田玄白、岩波書店)
・『風雲児たち』(みなもと太郎、リイド社



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