山形大学大学院理工学研究科ものづくり技術経営学専攻教授 志村勉氏
今回ご紹介するのは、事業家というわけではありません。
自身の思い、成し遂げたいと考えられていたプランを実現するために
橋梁建設での輝かしい実績を捨て、教授になるという選択をされました
方をご紹介いたします。
志村勉氏
現在、山形大学大学院理工学研究科ものづくり技術経営学専攻教授
工学部キャリアサービスセンター副センター長
思いを実現するかたちとして様々なかたちがあると思います。
その一例として、大学教授という選択をし、そのリソースを使って
新たなビジネスを展開していこうと、既成概念を打ち破り突き進む
志村さんのストーリーを紐解こう!
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(Q、松澤 / A、志村さん)
Q、志村さんはABSを卒業後、国立大学の教授になられたのですよね。
今回は改めて宜しくお願いいたします!
始めにこれまで取り組まれてきたビジネスなど、簡単な
プロフィールを教えていただけますか?
A、まず、大学時代に橋の写真集に魅せられ、橋梁建設のトップ企業へ
入社しました。15年間橋梁の設計に携わり、レインボーブリッジ
をはじめ地図に残る大小30以上の作品を世に残してきました。
その間、早稲田大学で工学の博士号も取得しました。
そして橋での夢を実現したと考え、次なる夢をビジネスでの成功で
あると据えました。そこで早大ビジネススクールに通い、
修了後、事業企画や経営企画部門に移り企画マンに
転進しました。更にベンチャー企業の設立と経営も経験もしました。
ビジネス展開を模索する中で、テーマにしていた技術経営(MOT)
とキャリアデザインを極めるため、2005年11月より
山形大学教授に転身しました。
専門は、市場創造、イノベーション、組織・人的資源管理および
キャリアデザインになります。
------------------------------
Q、それでは現在の仕事内容を、具体的に教えてください。
A、大学では講義と研究が中心ですが、新たな教育プログラムの
企画と開発も行っています。大学院の講義は技術経営学(MOT)
専攻ということもあり、社会人が多いことから平日の夜と土曜日に
行っています。通信教育との併用で隔週の土曜日だけでも修士の
学位取得が可能なため、岐阜から通っているつわものもおられます。
凄いですよね。
また、キャリアサービスセンターの副センター長として、
学生や社会の若手人材向けにキャリアデザインの支援や就職活動の
支援も行っています。最近ではキャリア採用を希望する企業も
増えてきたことなどから、今後は卒業生や企業などの若手人材を
対象に再教育を絡めた企業とのマッチング事業を展開していく
予定です。ここは、大学のセンターである強みが生かせる部分です。
大学の外では国の委員会や学会活動などに加えて、企業や官公庁
向けのコンサルティングや教育なども行っています。今後は、
臨床経験を増やす意味でもコンサルティングの仕事に力を
入れていきたいと思っています。
------------------------------
Q、ところで、受講後、大学教授になられたかと思いますが
どのような経緯だったのかお教えいただけますか?
A、私は、もともと技術者だったのですが、日本では技術者の社会的な
地位も低く、また多くの技術者が実務現場で日々の作業に
忙殺されていて、欧米の技術者との違いが気になっていました。
そんなことから、自分の中では「日本の技術者を輝く場所へ」
と言うテーマが芽生えてきて、自分が出来ることを色々考えて
いました。出来れば自分の仕事として取り組んでいけたらいい
と考えていたのです。
そんなときに、ABS18期でビジネスプランのワークがあり、
私はMOT(技術経営)と言う切り口で技術者を再生する
教育コンテンツビジネスを練りました。
講師の村山さん(企画発想力養成講座、収益モデル構築講座
担当講師;松澤注)をはじめ、多くの方々から賛同いただけたの
が励みにもなり、是非実現したいと考えるようになったのです。
その後、事業化を模索する中で権威者とのコラボの重要性を
認識するも、権威者に依存するリスクを感じていました。
それならば、自分が権威になれないものだろうか?と
無謀なる挑戦を決意したのです。
それで、MOTを扱える大学を目指しました。公募情報を
いろいろと調べて、希望にピッタリだった山形大学に応募
したのです。たいへんに狭き門でしたが、幸いにも採用
されました。自分を売り込むための戦略の勝利だと思いますが、
これもABSで学んだ賜物だと思っています。
------------------------------
Q、ABSが役立ったとお聞きでき大変うれしいですね。。
順序は逆ですが、ABSを受講しようと思われた経緯を教えて
もらえますか?
A、当時、私は企業の中で事業企画を担当していました。新規事業も
範疇であり、実際にも幾つか手がけておりました。しかし、
どうも自分の中でしっくり行かない状況を感じており、
突破口を模索していたのです。
そんな折、ネットサーフィンをしていて”ビジネス構想力養成講座“
なるものを見つけたんです。それが、当時ABS17期で開講された
村山さんの講座でした。
大前研一氏の学校ということや、スクールの理念にも共感して
いましたので、それに吸引されたことも動機の一部でした。
しかし、何といっても講師の村山さんの魅力ですね。
------------------------------
Q、ABSで学ばれたことで具体的に役立った点はどんな点ですか?
A、コンセプトとターゲット設定の重要性と考え方を深く理解できた
ことは大きかったです。それまでも、もちろん意識していたし
重要視もしてきました。しかし、自分で立てたプランを通じて、
実践の中でアドバイスを受ける方法は自分の中でフェィズが
一つ変わった気がしました。これは、教育者になった私としては、
教育法としても大変参考になるものです。
それと、価値設計の方法論も役立っています。教育プログラムの
企画も含めて、いろんな局面で常々活用しています。
これは、一生の宝物として更に育てて行きたいと思います。
その他、学んだことは沢山ありますが、何よりも得られた
最大の成果として素晴らしい人脈が出来たことです。
講師だった村山さんをはじめ、ビジネスに対して情熱的に取り組む
多くの仲間と知り合えたのは財産だと思います。
────────────────────────────────
ここに↓村山講師と志村さんの“創造性とは何か”の掛け合いブログが
あります!◇必見 http://www5e.biglobe.ne.jp/~muraryo/page075.html
────────────────────────────────
------------------------------
Q、受講前はどんなことをされていらっしゃいましたか?
実績なども含め教えてください。
A、橋梁の設計を30橋以上やりました。プロフィールとしても紹介
しましたが、レインボーブリッジは思い出深い作品です。
横浜ベイブリッジの設計や本州と四国を結ぶ、しまなみ海道の
建設プロジェクトにも関与しました。米国で開催された
橋梁の国際会議では、日本を代表して講演したこともあります。
そんなことで、ある意味で橋梁では権威者の端くれだったと
自負しています。今だから言えるんですが。
その後、企業の技術競争に向けた技術開発をメインに
取り組んでいましたが、現在では高速道路等でも標準的に
作られている構造形式の開発に関わった経験が、
凄く自分の中で自信になっています。
その後、多角経営をしている同じ会社で事業企画と経営企画
に携わっていました。
各事業部の戦略的な部分での支援や、全社的に取り組むべく施策を
検討して実施する役割です。不良資産の売却にも関わり、
アイデアと行動力勝負で大きな成果も挙げました。また、
新規事業を模索する中では子会社の設立から経営もやらせていただき、
非常に広範で大きな仕事にいろいろ携わさせていただきました。
本当に感謝しております。
後半の成果は、ABS受講の賜物かもしれません。
------------------------------
Q、今後、大学で実行しようと実現しようと思われていることを
教えてください。
A、先に触れましたが、若い人達、特に技術者を、一人でも多く社会で
輝ける場所へ送り込むのが私の夢です。したがって、大学教授
となって頑張ることだけが目的ではありません。
しかし、まだまだ私自身がそれらを推進するための知識と経験が
不足しています。まずは、分野で第一人者になれるよう、必要な
ことにいろいろと全力で取り組みたいと思います。そして、
ある程度力が付いたらコンサルティングや教育を、ビジネスも
含めて強力に推進したいと思っています。また、信用の裏づけと
なるよう、書籍の出版やマスコミデビューも視野に入れております。
------------------------------
Q、少し大げさかも知れませんが、志村さんの人生に取ってABSが
与えた影響はどのようなものでしたか?
A、ビジネスでの成功を夢見ていましたが、どんなビジネスに取り組むかは
正直明確になっていませんでした。早大ビジネススクール時代も
ビジネスプランニングコンテストで1位になったりしましたが、
そのビジネスも自らが燃えるようなのではありませんでした。
しかし、ABSの受講をきっかけに、将来の目標が明確になった
気がします。それは、講座での実習に人一倍本気で取り組んで
掴んだスキルとともに、同じような強い思いで取り組んだ、
戦友達とのつながりから得られた意欲の醸成によるものと思います。
そのような意味で、私の人生のプラスの転機をもたらして
いただきましたし、進んでいく上で必要な心構えや考え方を
学んだ気がします。
ということで、たいへん大きな影響を受けたのではないでしょうか。
------------------------------
Q、最後に、人生でどのようなことを達成されたいと思われて
いるか教えてもらえますか?
A、とにかく世の中にプラスの影響を及ぼしたいと思います。
多くの人達が、いきいきと輝いている社会が実現すれば本当に良い
と心から願っています。それに向けて、自分の出来ることを
最大限に実行していきたいですし、少しでも貢献できたら幸せです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
*いかがでしたか?
志村さんは2期のTA(ティーチングアシスタント)を依頼させていただき
快諾いただいております!
国立大学の大学教授が、TAですからすごいですよね。
志村さんも受講生だったこともあり、受講者の立場も講師の立場も
分かる最強のスタッフィングだと思います!
対象は、企画発想力養成講座、収益モデル構築講座です。
残席は数席ございますので、短期間で飛躍的な成長を求める方は
是非、お越しください!!(生ぬるさはないので、覚悟を決めて、どうぞ)
自身の思い、成し遂げたいと考えられていたプランを実現するために
橋梁建設での輝かしい実績を捨て、教授になるという選択をされました
方をご紹介いたします。
志村勉氏
現在、山形大学大学院理工学研究科ものづくり技術経営学専攻教授
工学部キャリアサービスセンター副センター長
思いを実現するかたちとして様々なかたちがあると思います。
その一例として、大学教授という選択をし、そのリソースを使って
新たなビジネスを展開していこうと、既成概念を打ち破り突き進む
志村さんのストーリーを紐解こう!
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(Q、松澤 / A、志村さん)
Q、志村さんはABSを卒業後、国立大学の教授になられたのですよね。
今回は改めて宜しくお願いいたします!
始めにこれまで取り組まれてきたビジネスなど、簡単な
プロフィールを教えていただけますか?
A、まず、大学時代に橋の写真集に魅せられ、橋梁建設のトップ企業へ
入社しました。15年間橋梁の設計に携わり、レインボーブリッジ
をはじめ地図に残る大小30以上の作品を世に残してきました。
その間、早稲田大学で工学の博士号も取得しました。
そして橋での夢を実現したと考え、次なる夢をビジネスでの成功で
あると据えました。そこで早大ビジネススクールに通い、
修了後、事業企画や経営企画部門に移り企画マンに
転進しました。更にベンチャー企業の設立と経営も経験もしました。
ビジネス展開を模索する中で、テーマにしていた技術経営(MOT)
とキャリアデザインを極めるため、2005年11月より
山形大学教授に転身しました。
専門は、市場創造、イノベーション、組織・人的資源管理および
キャリアデザインになります。
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Q、それでは現在の仕事内容を、具体的に教えてください。
A、大学では講義と研究が中心ですが、新たな教育プログラムの
企画と開発も行っています。大学院の講義は技術経営学(MOT)
専攻ということもあり、社会人が多いことから平日の夜と土曜日に
行っています。通信教育との併用で隔週の土曜日だけでも修士の
学位取得が可能なため、岐阜から通っているつわものもおられます。
凄いですよね。
また、キャリアサービスセンターの副センター長として、
学生や社会の若手人材向けにキャリアデザインの支援や就職活動の
支援も行っています。最近ではキャリア採用を希望する企業も
増えてきたことなどから、今後は卒業生や企業などの若手人材を
対象に再教育を絡めた企業とのマッチング事業を展開していく
予定です。ここは、大学のセンターである強みが生かせる部分です。
大学の外では国の委員会や学会活動などに加えて、企業や官公庁
向けのコンサルティングや教育なども行っています。今後は、
臨床経験を増やす意味でもコンサルティングの仕事に力を
入れていきたいと思っています。
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Q、ところで、受講後、大学教授になられたかと思いますが
どのような経緯だったのかお教えいただけますか?
A、私は、もともと技術者だったのですが、日本では技術者の社会的な
地位も低く、また多くの技術者が実務現場で日々の作業に
忙殺されていて、欧米の技術者との違いが気になっていました。
そんなことから、自分の中では「日本の技術者を輝く場所へ」
と言うテーマが芽生えてきて、自分が出来ることを色々考えて
いました。出来れば自分の仕事として取り組んでいけたらいい
と考えていたのです。
そんなときに、ABS18期でビジネスプランのワークがあり、
私はMOT(技術経営)と言う切り口で技術者を再生する
教育コンテンツビジネスを練りました。
講師の村山さん(企画発想力養成講座、収益モデル構築講座
担当講師;松澤注)をはじめ、多くの方々から賛同いただけたの
が励みにもなり、是非実現したいと考えるようになったのです。
その後、事業化を模索する中で権威者とのコラボの重要性を
認識するも、権威者に依存するリスクを感じていました。
それならば、自分が権威になれないものだろうか?と
無謀なる挑戦を決意したのです。
それで、MOTを扱える大学を目指しました。公募情報を
いろいろと調べて、希望にピッタリだった山形大学に応募
したのです。たいへんに狭き門でしたが、幸いにも採用
されました。自分を売り込むための戦略の勝利だと思いますが、
これもABSで学んだ賜物だと思っています。
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Q、ABSが役立ったとお聞きでき大変うれしいですね。。
順序は逆ですが、ABSを受講しようと思われた経緯を教えて
もらえますか?
A、当時、私は企業の中で事業企画を担当していました。新規事業も
範疇であり、実際にも幾つか手がけておりました。しかし、
どうも自分の中でしっくり行かない状況を感じており、
突破口を模索していたのです。
そんな折、ネットサーフィンをしていて”ビジネス構想力養成講座“
なるものを見つけたんです。それが、当時ABS17期で開講された
村山さんの講座でした。
大前研一氏の学校ということや、スクールの理念にも共感して
いましたので、それに吸引されたことも動機の一部でした。
しかし、何といっても講師の村山さんの魅力ですね。
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Q、ABSで学ばれたことで具体的に役立った点はどんな点ですか?
A、コンセプトとターゲット設定の重要性と考え方を深く理解できた
ことは大きかったです。それまでも、もちろん意識していたし
重要視もしてきました。しかし、自分で立てたプランを通じて、
実践の中でアドバイスを受ける方法は自分の中でフェィズが
一つ変わった気がしました。これは、教育者になった私としては、
教育法としても大変参考になるものです。
それと、価値設計の方法論も役立っています。教育プログラムの
企画も含めて、いろんな局面で常々活用しています。
これは、一生の宝物として更に育てて行きたいと思います。
その他、学んだことは沢山ありますが、何よりも得られた
最大の成果として素晴らしい人脈が出来たことです。
講師だった村山さんをはじめ、ビジネスに対して情熱的に取り組む
多くの仲間と知り合えたのは財産だと思います。
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ここに↓村山講師と志村さんの“創造性とは何か”の掛け合いブログが
あります!◇必見 http://www5e.biglobe.ne.jp/~muraryo/page075.html
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Q、受講前はどんなことをされていらっしゃいましたか?
実績なども含め教えてください。
A、橋梁の設計を30橋以上やりました。プロフィールとしても紹介
しましたが、レインボーブリッジは思い出深い作品です。
横浜ベイブリッジの設計や本州と四国を結ぶ、しまなみ海道の
建設プロジェクトにも関与しました。米国で開催された
橋梁の国際会議では、日本を代表して講演したこともあります。
そんなことで、ある意味で橋梁では権威者の端くれだったと
自負しています。今だから言えるんですが。
その後、企業の技術競争に向けた技術開発をメインに
取り組んでいましたが、現在では高速道路等でも標準的に
作られている構造形式の開発に関わった経験が、
凄く自分の中で自信になっています。
その後、多角経営をしている同じ会社で事業企画と経営企画
に携わっていました。
各事業部の戦略的な部分での支援や、全社的に取り組むべく施策を
検討して実施する役割です。不良資産の売却にも関わり、
アイデアと行動力勝負で大きな成果も挙げました。また、
新規事業を模索する中では子会社の設立から経営もやらせていただき、
非常に広範で大きな仕事にいろいろ携わさせていただきました。
本当に感謝しております。
後半の成果は、ABS受講の賜物かもしれません。
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Q、今後、大学で実行しようと実現しようと思われていることを
教えてください。
A、先に触れましたが、若い人達、特に技術者を、一人でも多く社会で
輝ける場所へ送り込むのが私の夢です。したがって、大学教授
となって頑張ることだけが目的ではありません。
しかし、まだまだ私自身がそれらを推進するための知識と経験が
不足しています。まずは、分野で第一人者になれるよう、必要な
ことにいろいろと全力で取り組みたいと思います。そして、
ある程度力が付いたらコンサルティングや教育を、ビジネスも
含めて強力に推進したいと思っています。また、信用の裏づけと
なるよう、書籍の出版やマスコミデビューも視野に入れております。
------------------------------
Q、少し大げさかも知れませんが、志村さんの人生に取ってABSが
与えた影響はどのようなものでしたか?
A、ビジネスでの成功を夢見ていましたが、どんなビジネスに取り組むかは
正直明確になっていませんでした。早大ビジネススクール時代も
ビジネスプランニングコンテストで1位になったりしましたが、
そのビジネスも自らが燃えるようなのではありませんでした。
しかし、ABSの受講をきっかけに、将来の目標が明確になった
気がします。それは、講座での実習に人一倍本気で取り組んで
掴んだスキルとともに、同じような強い思いで取り組んだ、
戦友達とのつながりから得られた意欲の醸成によるものと思います。
そのような意味で、私の人生のプラスの転機をもたらして
いただきましたし、進んでいく上で必要な心構えや考え方を
学んだ気がします。
ということで、たいへん大きな影響を受けたのではないでしょうか。
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Q、最後に、人生でどのようなことを達成されたいと思われて
いるか教えてもらえますか?
A、とにかく世の中にプラスの影響を及ぼしたいと思います。
多くの人達が、いきいきと輝いている社会が実現すれば本当に良い
と心から願っています。それに向けて、自分の出来ることを
最大限に実行していきたいですし、少しでも貢献できたら幸せです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
*いかがでしたか?
志村さんは2期のTA(ティーチングアシスタント)を依頼させていただき
快諾いただいております!
国立大学の大学教授が、TAですからすごいですよね。
志村さんも受講生だったこともあり、受講者の立場も講師の立場も
分かる最強のスタッフィングだと思います!
対象は、企画発想力養成講座、収益モデル構築講座です。
残席は数席ございますので、短期間で飛躍的な成長を求める方は
是非、お越しください!!(生ぬるさはないので、覚悟を決めて、どうぞ)
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