リアル・パートナーズ株式会社 代表取締役、e-マネジメント株式会社 取締役/COO 山本敦浩さん(ABS12期受講) vol.1
今回ご紹介するのは、
リアル・パートナーズ株式会社 代表取締役
e-マネジメント株式会社 取締役/COO
山本敦浩さん(ABS12期受講)
http://www.emanagement.co.jp/
事業内容は、
○リアル・パートナーズ株式会社
⇒事業コンサルティング
○e-マネジメント株式会社
⇒会員制の「ビジネス系情報マッチング型ポータルサイト」サービス。
「経営mapx(マップクロス)」 http://www.emanagement.co.jp
会員サイト:http://www.keiei-mapx.com
中部地区では大きい事業会社であった家業の倒産、自身の自己破産と
大変な苦難を経験しながらも、ABSを一つのきっかけとして
再起を果たされ、現在は経営者として事業を行われています。
つらく苦しい時期における出会いや考えたことを現在の事業の核と
しておられ、現在は新しいサービスを大々的に仕掛けていらっしゃる
真っ最中です。
それでは、
既成概念を打ち破り、突き進む、山本さんのストーリーを紐解こう!
今回は、『ABS入塾』まで。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
Q、それではまず今行われている事業の概要についてお話いただけ
ますか?
A、今現在2社の経営に携わっています。
まずリアル・パートナーズ株式会社についてですが、これは私が
立ち上げ代表を務めております、ビジネスコンサルの会社です。
コンサルティングの領域としては一部大企業のコンサルティングも
やっておりますが、主に、中小、零細企業の経営がうまくいくように
事業戦略の構築、資金調達、再建などビジネス周りのことであれば
案件ベースでお手伝いさせていただく、まだ生まれたばかりの
事業コンサルの会社になります。
e-マネジメント株式会社は、より多くの「良い経営」を支援したい、
という思いのもと、立ち上げた会社です。コンサルをしているだけでは、
ごく限られた経営のお手伝いしか出来ません。現経営陣と出会い、
「経営mapx(マップクロス)」を展開するビジネスモデルを構築し、
実業として取り組むことに決めました。インターネットを活用する
ことにより、全ての事業者にお使いいただける安価で良質な経営支援
サービスを展開してまいります。
現在は、「経営mapx」会員企業および「転職mapx」の求職者を増やす
ことに注力をしております。メルマガ読者の皆さまにも会員登録に
ご協力いただければ幸いです。
経営mapx(マップクロス)の概要をご説明いたしますと、これは、
2006年7月1日に正式オープンする、会員制の
「ビジネス系情報マッチング型ポータルサイト」サービスです。
「経営」に必要な「ヒト、モノ、カネ、その他情報」と会員企業
との出会いを実現するマッチングサイトを、mapxシリーズとして、
順次リリースしてまいります。
その第1弾として、求人求職サイト「転職mapx」をすでにリリース
しております。こちらのサイトは、「人材採用の価格破壊」を
目指したものです。
◆経営mapx(マップクロス)
・サービスURL: http://www.keiei-mapx.com
・入会金:10,000円 会費:5,000円
※オープン記念につき、期間限定無料お試しキャンペーン中
◆「転職mapx」
・サービスURL:http://www.tenshoku-mapx.com
※オープン記念につき、求職者プレゼントキャンペーン中
------------------------------
Q、それでは今の会社を始めたきっかけを教えていただけますか?
A、私はABSを卒塾して3年ほどサラリーマンを経験して起業したの
ですが、そもそもABSに入塾したきっかけ、その後の経緯で
随分と挫折を味わっておりました。
ABSに来る前にやっていた事業でなかなかうまくいかなくて、
一時は公園での路上生活者のような時期もありました。しかし、
そんな私にもある程度の社会的立場をいただいたり、支えてくれる
仲間ができたりしてビジネスをやっていくことができるという
経験をしました。
そういう経験を通して仲間というのは本当にいいものだと思うように
なりました。そして信念とか、目的とか、人間関係さえ大切にする
ことができれば、どんな立場、年齢、境遇の人もやり直しできたり、
成長できるのがビジネスのフィールドなんだなと感じました。
ビジネス上で仲間と呼べる人をどれだけ作れるかということが
ビジネスをやっていく上で本当に大切なことなんだなということを
学んだのです。
そういう考えの基、仲間が集う場を作りたいと思うようになりました。
集まってくれた人がお互い仲間だと呼び合えるようなフィールドが
できれば、そこから必ず事業上プラスのことが生まれ続けると考えて
おり、それを具現化したのがリアル・パートナーズということに
なります。
こういったことが起業のきっかけですね。
------------------------------
Q、今のお話の中で挫折を味わったと言われましたが、その状況から
どのように立ち直っていかれたのか教えてもらえますか?
A、そうですね。まず何があったのかというところからお話します。
私の実家は名古屋で、祖父の代から続けている会社がありました。
私は20代後半もビジネスマンではなくて、大学卒業後も科学者を
やっていたんですが、どうも親父の事業が思わしくないという
ことで何か手助けできないかと考えていました。そこで名古屋に
戻り家業を手伝うことにしました。
売上10億、社員100名くらいの小さい会社ではありましたが、
ビジネスが何たるかもわからないまま思いだけで、三年強、
いわゆる「経営」というものをやりました。
しかし、実力がないとどうしようもなく、どうしても苦境から
脱することができなくて最終的には倒産ということになりました。
家業の倒産となると多額の負債を背負うことになり、連帯保証の
関係で、私個人も30億ほどの借金を抱えることになりました。
とても返せる額ではないので個人的にも自己破産をし、今後
どうしようかなと途方に暮れていました。
そんな時、大学が東京だったこともあり、東京だったらなじみの
土地で、根拠はないんですけど、何となくやり直せるかもしれない
という思いがあり、東京に出てきました。しかし、東京に出てきた
ものの何の当てもなく、これからの人生を考えたときにお金もないし、
一度経営者になった身というプライドがあり、簡単にサラリーマン
にもなれないでいました。
そこでとりあえずどこかに籍だけ置いて、のんびり今後のことを
考えたいと思っていました。その中で見つけたうちの一つが
ABSだったんです。
上京以前、名古屋での説明会に参加したときに松澤さんとお会い
したのですけれども、無責任に私のことを煽ったんですね(笑)。
私は「自己破産者で一円もない」
って言っているのに
「それでもやる気のある人はお金を集めて受講する」
と言われたのを覚えています。
受講するか迷ったのですが、大前研一さんが塾長ということもあり、
大前研一のところで勉強してると言えば箔もつくかなと思い
受講を決意しました。
しかしながら受講料と東京で生活するためのお金を貯めなければ
なりません。2000年の11月に会社が倒産したのですけれども、
2001年10月にABS12期が始まるのということで、それまでに
倒産の処理を終わらせ、お金を貯めようと思い、日雇いのバイト
などをやってお金を貯めました。
それまでは会社をもたせることだけで頭がいっぱいだったんです。
事業は前向きに経営を考えられるような状況ではなかったですし、
自分のことを考えるような時間は全くなかったので、ABSを
身の置き場にして、やり直しの第一歩を歩み始めたという感じです。
●次回は『起業』についてお伝え致します。
ご期待ください。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
*起業家志望の読者の皆様が、ここでご紹介する方の起業していく
プロセスを知ることで、追体験していただくことが目的です。
結果的にロールモデルを作ることで、より成果が出やすい
発想や行動に 切り替わることきっかけとなることを思います!
いずれにしても是非、一緒に応援してあげて下さい!
⇒「e-マネジメント」http://www.emanagement.co.jp/
この文章は大前研一のアタッカーズ・ビジネススクールが発行するメルマガ【情熱DNA】(まぐまぐ殿堂入り)にて配信した内容です。ご登録いただければ毎週水曜日、お手元に届きます。こちらから
リアル・パートナーズ株式会社 代表取締役
e-マネジメント株式会社 取締役/COO
山本敦浩さん(ABS12期受講)
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○リアル・パートナーズ株式会社
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○e-マネジメント株式会社
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大変な苦難を経験しながらも、ABSを一つのきっかけとして
再起を果たされ、現在は経営者として事業を行われています。
つらく苦しい時期における出会いや考えたことを現在の事業の核と
しておられ、現在は新しいサービスを大々的に仕掛けていらっしゃる
真っ最中です。
それでは、
既成概念を打ち破り、突き進む、山本さんのストーリーを紐解こう!
今回は、『ABS入塾』まで。
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Q、それではまず今行われている事業の概要についてお話いただけ
ますか?
A、今現在2社の経営に携わっています。
まずリアル・パートナーズ株式会社についてですが、これは私が
立ち上げ代表を務めております、ビジネスコンサルの会社です。
コンサルティングの領域としては一部大企業のコンサルティングも
やっておりますが、主に、中小、零細企業の経営がうまくいくように
事業戦略の構築、資金調達、再建などビジネス周りのことであれば
案件ベースでお手伝いさせていただく、まだ生まれたばかりの
事業コンサルの会社になります。
e-マネジメント株式会社は、より多くの「良い経営」を支援したい、
という思いのもと、立ち上げた会社です。コンサルをしているだけでは、
ごく限られた経営のお手伝いしか出来ません。現経営陣と出会い、
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実業として取り組むことに決めました。インターネットを活用する
ことにより、全ての事業者にお使いいただける安価で良質な経営支援
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現在は、「経営mapx」会員企業および「転職mapx」の求職者を増やす
ことに注力をしております。メルマガ読者の皆さまにも会員登録に
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との出会いを実現するマッチングサイトを、mapxシリーズとして、
順次リリースしてまいります。
その第1弾として、求人求職サイト「転職mapx」をすでにリリース
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目指したものです。
◆経営mapx(マップクロス)
・サービスURL: http://www.keiei-mapx.com
・入会金:10,000円 会費:5,000円
※オープン記念につき、期間限定無料お試しキャンペーン中
◆「転職mapx」
・サービスURL:http://www.tenshoku-mapx.com
※オープン記念につき、求職者プレゼントキャンペーン中
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Q、それでは今の会社を始めたきっかけを教えていただけますか?
A、私はABSを卒塾して3年ほどサラリーマンを経験して起業したの
ですが、そもそもABSに入塾したきっかけ、その後の経緯で
随分と挫折を味わっておりました。
ABSに来る前にやっていた事業でなかなかうまくいかなくて、
一時は公園での路上生活者のような時期もありました。しかし、
そんな私にもある程度の社会的立場をいただいたり、支えてくれる
仲間ができたりしてビジネスをやっていくことができるという
経験をしました。
そういう経験を通して仲間というのは本当にいいものだと思うように
なりました。そして信念とか、目的とか、人間関係さえ大切にする
ことができれば、どんな立場、年齢、境遇の人もやり直しできたり、
成長できるのがビジネスのフィールドなんだなと感じました。
ビジネス上で仲間と呼べる人をどれだけ作れるかということが
ビジネスをやっていく上で本当に大切なことなんだなということを
学んだのです。
そういう考えの基、仲間が集う場を作りたいと思うようになりました。
集まってくれた人がお互い仲間だと呼び合えるようなフィールドが
できれば、そこから必ず事業上プラスのことが生まれ続けると考えて
おり、それを具現化したのがリアル・パートナーズということに
なります。
こういったことが起業のきっかけですね。
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Q、今のお話の中で挫折を味わったと言われましたが、その状況から
どのように立ち直っていかれたのか教えてもらえますか?
A、そうですね。まず何があったのかというところからお話します。
私の実家は名古屋で、祖父の代から続けている会社がありました。
私は20代後半もビジネスマンではなくて、大学卒業後も科学者を
やっていたんですが、どうも親父の事業が思わしくないという
ことで何か手助けできないかと考えていました。そこで名古屋に
戻り家業を手伝うことにしました。
売上10億、社員100名くらいの小さい会社ではありましたが、
ビジネスが何たるかもわからないまま思いだけで、三年強、
いわゆる「経営」というものをやりました。
しかし、実力がないとどうしようもなく、どうしても苦境から
脱することができなくて最終的には倒産ということになりました。
家業の倒産となると多額の負債を背負うことになり、連帯保証の
関係で、私個人も30億ほどの借金を抱えることになりました。
とても返せる額ではないので個人的にも自己破産をし、今後
どうしようかなと途方に暮れていました。
そんな時、大学が東京だったこともあり、東京だったらなじみの
土地で、根拠はないんですけど、何となくやり直せるかもしれない
という思いがあり、東京に出てきました。しかし、東京に出てきた
ものの何の当てもなく、これからの人生を考えたときにお金もないし、
一度経営者になった身というプライドがあり、簡単にサラリーマン
にもなれないでいました。
そこでとりあえずどこかに籍だけ置いて、のんびり今後のことを
考えたいと思っていました。その中で見つけたうちの一つが
ABSだったんです。
上京以前、名古屋での説明会に参加したときに松澤さんとお会い
したのですけれども、無責任に私のことを煽ったんですね(笑)。
私は「自己破産者で一円もない」
って言っているのに
「それでもやる気のある人はお金を集めて受講する」
と言われたのを覚えています。
受講するか迷ったのですが、大前研一さんが塾長ということもあり、
大前研一のところで勉強してると言えば箔もつくかなと思い
受講を決意しました。
しかしながら受講料と東京で生活するためのお金を貯めなければ
なりません。2000年の11月に会社が倒産したのですけれども、
2001年10月にABS12期が始まるのということで、それまでに
倒産の処理を終わらせ、お金を貯めようと思い、日雇いのバイト
などをやってお金を貯めました。
それまでは会社をもたせることだけで頭がいっぱいだったんです。
事業は前向きに経営を考えられるような状況ではなかったですし、
自分のことを考えるような時間は全くなかったので、ABSを
身の置き場にして、やり直しの第一歩を歩み始めたという感じです。
●次回は『起業』についてお伝え致します。
ご期待ください。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
*起業家志望の読者の皆様が、ここでご紹介する方の起業していく
プロセスを知ることで、追体験していただくことが目的です。
結果的にロールモデルを作ることで、より成果が出やすい
発想や行動に 切り替わることきっかけとなることを思います!
いずれにしても是非、一緒に応援してあげて下さい!
⇒「e-マネジメント」http://www.emanagement.co.jp/
この文章は大前研一のアタッカーズ・ビジネススクールが発行するメルマガ【情熱DNA】(まぐまぐ殿堂入り)にて配信した内容です。ご登録いただければ毎週水曜日、お手元に届きます。こちらから
山形大学大学院理工学研究科ものづくり技術経営学専攻教授 志村勉氏
今回ご紹介するのは、事業家というわけではありません。
自身の思い、成し遂げたいと考えられていたプランを実現するために
橋梁建設での輝かしい実績を捨て、教授になるという選択をされました
方をご紹介いたします。
志村勉氏
現在、山形大学大学院理工学研究科ものづくり技術経営学専攻教授
工学部キャリアサービスセンター副センター長
思いを実現するかたちとして様々なかたちがあると思います。
その一例として、大学教授という選択をし、そのリソースを使って
新たなビジネスを展開していこうと、既成概念を打ち破り突き進む
志村さんのストーリーを紐解こう!
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(Q、松澤 / A、志村さん)
Q、志村さんはABSを卒業後、国立大学の教授になられたのですよね。
今回は改めて宜しくお願いいたします!
始めにこれまで取り組まれてきたビジネスなど、簡単な
プロフィールを教えていただけますか?
A、まず、大学時代に橋の写真集に魅せられ、橋梁建設のトップ企業へ
入社しました。15年間橋梁の設計に携わり、レインボーブリッジ
をはじめ地図に残る大小30以上の作品を世に残してきました。
その間、早稲田大学で工学の博士号も取得しました。
そして橋での夢を実現したと考え、次なる夢をビジネスでの成功で
あると据えました。そこで早大ビジネススクールに通い、
修了後、事業企画や経営企画部門に移り企画マンに
転進しました。更にベンチャー企業の設立と経営も経験もしました。
ビジネス展開を模索する中で、テーマにしていた技術経営(MOT)
とキャリアデザインを極めるため、2005年11月より
山形大学教授に転身しました。
専門は、市場創造、イノベーション、組織・人的資源管理および
キャリアデザインになります。
------------------------------
Q、それでは現在の仕事内容を、具体的に教えてください。
A、大学では講義と研究が中心ですが、新たな教育プログラムの
企画と開発も行っています。大学院の講義は技術経営学(MOT)
専攻ということもあり、社会人が多いことから平日の夜と土曜日に
行っています。通信教育との併用で隔週の土曜日だけでも修士の
学位取得が可能なため、岐阜から通っているつわものもおられます。
凄いですよね。
また、キャリアサービスセンターの副センター長として、
学生や社会の若手人材向けにキャリアデザインの支援や就職活動の
支援も行っています。最近ではキャリア採用を希望する企業も
増えてきたことなどから、今後は卒業生や企業などの若手人材を
対象に再教育を絡めた企業とのマッチング事業を展開していく
予定です。ここは、大学のセンターである強みが生かせる部分です。
大学の外では国の委員会や学会活動などに加えて、企業や官公庁
向けのコンサルティングや教育なども行っています。今後は、
臨床経験を増やす意味でもコンサルティングの仕事に力を
入れていきたいと思っています。
------------------------------
Q、ところで、受講後、大学教授になられたかと思いますが
どのような経緯だったのかお教えいただけますか?
A、私は、もともと技術者だったのですが、日本では技術者の社会的な
地位も低く、また多くの技術者が実務現場で日々の作業に
忙殺されていて、欧米の技術者との違いが気になっていました。
そんなことから、自分の中では「日本の技術者を輝く場所へ」
と言うテーマが芽生えてきて、自分が出来ることを色々考えて
いました。出来れば自分の仕事として取り組んでいけたらいい
と考えていたのです。
そんなときに、ABS18期でビジネスプランのワークがあり、
私はMOT(技術経営)と言う切り口で技術者を再生する
教育コンテンツビジネスを練りました。
講師の村山さん(企画発想力養成講座、収益モデル構築講座
担当講師;松澤注)をはじめ、多くの方々から賛同いただけたの
が励みにもなり、是非実現したいと考えるようになったのです。
その後、事業化を模索する中で権威者とのコラボの重要性を
認識するも、権威者に依存するリスクを感じていました。
それならば、自分が権威になれないものだろうか?と
無謀なる挑戦を決意したのです。
それで、MOTを扱える大学を目指しました。公募情報を
いろいろと調べて、希望にピッタリだった山形大学に応募
したのです。たいへんに狭き門でしたが、幸いにも採用
されました。自分を売り込むための戦略の勝利だと思いますが、
これもABSで学んだ賜物だと思っています。
------------------------------
Q、ABSが役立ったとお聞きでき大変うれしいですね。。
順序は逆ですが、ABSを受講しようと思われた経緯を教えて
もらえますか?
A、当時、私は企業の中で事業企画を担当していました。新規事業も
範疇であり、実際にも幾つか手がけておりました。しかし、
どうも自分の中でしっくり行かない状況を感じており、
突破口を模索していたのです。
そんな折、ネットサーフィンをしていて”ビジネス構想力養成講座“
なるものを見つけたんです。それが、当時ABS17期で開講された
村山さんの講座でした。
大前研一氏の学校ということや、スクールの理念にも共感して
いましたので、それに吸引されたことも動機の一部でした。
しかし、何といっても講師の村山さんの魅力ですね。
------------------------------
Q、ABSで学ばれたことで具体的に役立った点はどんな点ですか?
A、コンセプトとターゲット設定の重要性と考え方を深く理解できた
ことは大きかったです。それまでも、もちろん意識していたし
重要視もしてきました。しかし、自分で立てたプランを通じて、
実践の中でアドバイスを受ける方法は自分の中でフェィズが
一つ変わった気がしました。これは、教育者になった私としては、
教育法としても大変参考になるものです。
それと、価値設計の方法論も役立っています。教育プログラムの
企画も含めて、いろんな局面で常々活用しています。
これは、一生の宝物として更に育てて行きたいと思います。
その他、学んだことは沢山ありますが、何よりも得られた
最大の成果として素晴らしい人脈が出来たことです。
講師だった村山さんをはじめ、ビジネスに対して情熱的に取り組む
多くの仲間と知り合えたのは財産だと思います。
────────────────────────────────
ここに↓村山講師と志村さんの“創造性とは何か”の掛け合いブログが
あります!◇必見 http://www5e.biglobe.ne.jp/~muraryo/page075.html
────────────────────────────────
------------------------------
Q、受講前はどんなことをされていらっしゃいましたか?
実績なども含め教えてください。
A、橋梁の設計を30橋以上やりました。プロフィールとしても紹介
しましたが、レインボーブリッジは思い出深い作品です。
横浜ベイブリッジの設計や本州と四国を結ぶ、しまなみ海道の
建設プロジェクトにも関与しました。米国で開催された
橋梁の国際会議では、日本を代表して講演したこともあります。
そんなことで、ある意味で橋梁では権威者の端くれだったと
自負しています。今だから言えるんですが。
その後、企業の技術競争に向けた技術開発をメインに
取り組んでいましたが、現在では高速道路等でも標準的に
作られている構造形式の開発に関わった経験が、
凄く自分の中で自信になっています。
その後、多角経営をしている同じ会社で事業企画と経営企画
に携わっていました。
各事業部の戦略的な部分での支援や、全社的に取り組むべく施策を
検討して実施する役割です。不良資産の売却にも関わり、
アイデアと行動力勝負で大きな成果も挙げました。また、
新規事業を模索する中では子会社の設立から経営もやらせていただき、
非常に広範で大きな仕事にいろいろ携わさせていただきました。
本当に感謝しております。
後半の成果は、ABS受講の賜物かもしれません。
------------------------------
Q、今後、大学で実行しようと実現しようと思われていることを
教えてください。
A、先に触れましたが、若い人達、特に技術者を、一人でも多く社会で
輝ける場所へ送り込むのが私の夢です。したがって、大学教授
となって頑張ることだけが目的ではありません。
しかし、まだまだ私自身がそれらを推進するための知識と経験が
不足しています。まずは、分野で第一人者になれるよう、必要な
ことにいろいろと全力で取り組みたいと思います。そして、
ある程度力が付いたらコンサルティングや教育を、ビジネスも
含めて強力に推進したいと思っています。また、信用の裏づけと
なるよう、書籍の出版やマスコミデビューも視野に入れております。
------------------------------
Q、少し大げさかも知れませんが、志村さんの人生に取ってABSが
与えた影響はどのようなものでしたか?
A、ビジネスでの成功を夢見ていましたが、どんなビジネスに取り組むかは
正直明確になっていませんでした。早大ビジネススクール時代も
ビジネスプランニングコンテストで1位になったりしましたが、
そのビジネスも自らが燃えるようなのではありませんでした。
しかし、ABSの受講をきっかけに、将来の目標が明確になった
気がします。それは、講座での実習に人一倍本気で取り組んで
掴んだスキルとともに、同じような強い思いで取り組んだ、
戦友達とのつながりから得られた意欲の醸成によるものと思います。
そのような意味で、私の人生のプラスの転機をもたらして
いただきましたし、進んでいく上で必要な心構えや考え方を
学んだ気がします。
ということで、たいへん大きな影響を受けたのではないでしょうか。
------------------------------
Q、最後に、人生でどのようなことを達成されたいと思われて
いるか教えてもらえますか?
A、とにかく世の中にプラスの影響を及ぼしたいと思います。
多くの人達が、いきいきと輝いている社会が実現すれば本当に良い
と心から願っています。それに向けて、自分の出来ることを
最大限に実行していきたいですし、少しでも貢献できたら幸せです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
*いかがでしたか?
志村さんは2期のTA(ティーチングアシスタント)を依頼させていただき
快諾いただいております!
国立大学の大学教授が、TAですからすごいですよね。
志村さんも受講生だったこともあり、受講者の立場も講師の立場も
分かる最強のスタッフィングだと思います!
対象は、企画発想力養成講座、収益モデル構築講座です。
残席は数席ございますので、短期間で飛躍的な成長を求める方は
是非、お越しください!!(生ぬるさはないので、覚悟を決めて、どうぞ)
自身の思い、成し遂げたいと考えられていたプランを実現するために
橋梁建設での輝かしい実績を捨て、教授になるという選択をされました
方をご紹介いたします。
志村勉氏
現在、山形大学大学院理工学研究科ものづくり技術経営学専攻教授
工学部キャリアサービスセンター副センター長
思いを実現するかたちとして様々なかたちがあると思います。
その一例として、大学教授という選択をし、そのリソースを使って
新たなビジネスを展開していこうと、既成概念を打ち破り突き進む
志村さんのストーリーを紐解こう!
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(Q、松澤 / A、志村さん)
Q、志村さんはABSを卒業後、国立大学の教授になられたのですよね。
今回は改めて宜しくお願いいたします!
始めにこれまで取り組まれてきたビジネスなど、簡単な
プロフィールを教えていただけますか?
A、まず、大学時代に橋の写真集に魅せられ、橋梁建設のトップ企業へ
入社しました。15年間橋梁の設計に携わり、レインボーブリッジ
をはじめ地図に残る大小30以上の作品を世に残してきました。
その間、早稲田大学で工学の博士号も取得しました。
そして橋での夢を実現したと考え、次なる夢をビジネスでの成功で
あると据えました。そこで早大ビジネススクールに通い、
修了後、事業企画や経営企画部門に移り企画マンに
転進しました。更にベンチャー企業の設立と経営も経験もしました。
ビジネス展開を模索する中で、テーマにしていた技術経営(MOT)
とキャリアデザインを極めるため、2005年11月より
山形大学教授に転身しました。
専門は、市場創造、イノベーション、組織・人的資源管理および
キャリアデザインになります。
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Q、それでは現在の仕事内容を、具体的に教えてください。
A、大学では講義と研究が中心ですが、新たな教育プログラムの
企画と開発も行っています。大学院の講義は技術経営学(MOT)
専攻ということもあり、社会人が多いことから平日の夜と土曜日に
行っています。通信教育との併用で隔週の土曜日だけでも修士の
学位取得が可能なため、岐阜から通っているつわものもおられます。
凄いですよね。
また、キャリアサービスセンターの副センター長として、
学生や社会の若手人材向けにキャリアデザインの支援や就職活動の
支援も行っています。最近ではキャリア採用を希望する企業も
増えてきたことなどから、今後は卒業生や企業などの若手人材を
対象に再教育を絡めた企業とのマッチング事業を展開していく
予定です。ここは、大学のセンターである強みが生かせる部分です。
大学の外では国の委員会や学会活動などに加えて、企業や官公庁
向けのコンサルティングや教育なども行っています。今後は、
臨床経験を増やす意味でもコンサルティングの仕事に力を
入れていきたいと思っています。
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Q、ところで、受講後、大学教授になられたかと思いますが
どのような経緯だったのかお教えいただけますか?
A、私は、もともと技術者だったのですが、日本では技術者の社会的な
地位も低く、また多くの技術者が実務現場で日々の作業に
忙殺されていて、欧米の技術者との違いが気になっていました。
そんなことから、自分の中では「日本の技術者を輝く場所へ」
と言うテーマが芽生えてきて、自分が出来ることを色々考えて
いました。出来れば自分の仕事として取り組んでいけたらいい
と考えていたのです。
そんなときに、ABS18期でビジネスプランのワークがあり、
私はMOT(技術経営)と言う切り口で技術者を再生する
教育コンテンツビジネスを練りました。
講師の村山さん(企画発想力養成講座、収益モデル構築講座
担当講師;松澤注)をはじめ、多くの方々から賛同いただけたの
が励みにもなり、是非実現したいと考えるようになったのです。
その後、事業化を模索する中で権威者とのコラボの重要性を
認識するも、権威者に依存するリスクを感じていました。
それならば、自分が権威になれないものだろうか?と
無謀なる挑戦を決意したのです。
それで、MOTを扱える大学を目指しました。公募情報を
いろいろと調べて、希望にピッタリだった山形大学に応募
したのです。たいへんに狭き門でしたが、幸いにも採用
されました。自分を売り込むための戦略の勝利だと思いますが、
これもABSで学んだ賜物だと思っています。
------------------------------
Q、ABSが役立ったとお聞きでき大変うれしいですね。。
順序は逆ですが、ABSを受講しようと思われた経緯を教えて
もらえますか?
A、当時、私は企業の中で事業企画を担当していました。新規事業も
範疇であり、実際にも幾つか手がけておりました。しかし、
どうも自分の中でしっくり行かない状況を感じており、
突破口を模索していたのです。
そんな折、ネットサーフィンをしていて”ビジネス構想力養成講座“
なるものを見つけたんです。それが、当時ABS17期で開講された
村山さんの講座でした。
大前研一氏の学校ということや、スクールの理念にも共感して
いましたので、それに吸引されたことも動機の一部でした。
しかし、何といっても講師の村山さんの魅力ですね。
------------------------------
Q、ABSで学ばれたことで具体的に役立った点はどんな点ですか?
A、コンセプトとターゲット設定の重要性と考え方を深く理解できた
ことは大きかったです。それまでも、もちろん意識していたし
重要視もしてきました。しかし、自分で立てたプランを通じて、
実践の中でアドバイスを受ける方法は自分の中でフェィズが
一つ変わった気がしました。これは、教育者になった私としては、
教育法としても大変参考になるものです。
それと、価値設計の方法論も役立っています。教育プログラムの
企画も含めて、いろんな局面で常々活用しています。
これは、一生の宝物として更に育てて行きたいと思います。
その他、学んだことは沢山ありますが、何よりも得られた
最大の成果として素晴らしい人脈が出来たことです。
講師だった村山さんをはじめ、ビジネスに対して情熱的に取り組む
多くの仲間と知り合えたのは財産だと思います。
────────────────────────────────
ここに↓村山講師と志村さんの“創造性とは何か”の掛け合いブログが
あります!◇必見 http://www5e.biglobe.ne.jp/~muraryo/page075.html
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Q、受講前はどんなことをされていらっしゃいましたか?
実績なども含め教えてください。
A、橋梁の設計を30橋以上やりました。プロフィールとしても紹介
しましたが、レインボーブリッジは思い出深い作品です。
横浜ベイブリッジの設計や本州と四国を結ぶ、しまなみ海道の
建設プロジェクトにも関与しました。米国で開催された
橋梁の国際会議では、日本を代表して講演したこともあります。
そんなことで、ある意味で橋梁では権威者の端くれだったと
自負しています。今だから言えるんですが。
その後、企業の技術競争に向けた技術開発をメインに
取り組んでいましたが、現在では高速道路等でも標準的に
作られている構造形式の開発に関わった経験が、
凄く自分の中で自信になっています。
その後、多角経営をしている同じ会社で事業企画と経営企画
に携わっていました。
各事業部の戦略的な部分での支援や、全社的に取り組むべく施策を
検討して実施する役割です。不良資産の売却にも関わり、
アイデアと行動力勝負で大きな成果も挙げました。また、
新規事業を模索する中では子会社の設立から経営もやらせていただき、
非常に広範で大きな仕事にいろいろ携わさせていただきました。
本当に感謝しております。
後半の成果は、ABS受講の賜物かもしれません。
------------------------------
Q、今後、大学で実行しようと実現しようと思われていることを
教えてください。
A、先に触れましたが、若い人達、特に技術者を、一人でも多く社会で
輝ける場所へ送り込むのが私の夢です。したがって、大学教授
となって頑張ることだけが目的ではありません。
しかし、まだまだ私自身がそれらを推進するための知識と経験が
不足しています。まずは、分野で第一人者になれるよう、必要な
ことにいろいろと全力で取り組みたいと思います。そして、
ある程度力が付いたらコンサルティングや教育を、ビジネスも
含めて強力に推進したいと思っています。また、信用の裏づけと
なるよう、書籍の出版やマスコミデビューも視野に入れております。
------------------------------
Q、少し大げさかも知れませんが、志村さんの人生に取ってABSが
与えた影響はどのようなものでしたか?
A、ビジネスでの成功を夢見ていましたが、どんなビジネスに取り組むかは
正直明確になっていませんでした。早大ビジネススクール時代も
ビジネスプランニングコンテストで1位になったりしましたが、
そのビジネスも自らが燃えるようなのではありませんでした。
しかし、ABSの受講をきっかけに、将来の目標が明確になった
気がします。それは、講座での実習に人一倍本気で取り組んで
掴んだスキルとともに、同じような強い思いで取り組んだ、
戦友達とのつながりから得られた意欲の醸成によるものと思います。
そのような意味で、私の人生のプラスの転機をもたらして
いただきましたし、進んでいく上で必要な心構えや考え方を
学んだ気がします。
ということで、たいへん大きな影響を受けたのではないでしょうか。
------------------------------
Q、最後に、人生でどのようなことを達成されたいと思われて
いるか教えてもらえますか?
A、とにかく世の中にプラスの影響を及ぼしたいと思います。
多くの人達が、いきいきと輝いている社会が実現すれば本当に良い
と心から願っています。それに向けて、自分の出来ることを
最大限に実行していきたいですし、少しでも貢献できたら幸せです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
*いかがでしたか?
志村さんは2期のTA(ティーチングアシスタント)を依頼させていただき
快諾いただいております!
国立大学の大学教授が、TAですからすごいですよね。
志村さんも受講生だったこともあり、受講者の立場も講師の立場も
分かる最強のスタッフィングだと思います!
対象は、企画発想力養成講座、収益モデル構築講座です。
残席は数席ございますので、短期間で飛躍的な成長を求める方は
是非、お越しください!!(生ぬるさはないので、覚悟を決めて、どうぞ)
株式会社エイチ・ジェイ・エル代表取締役社長 佐々木高行さん Vol.3
今回ご紹介するのは前回に引き続き、株式会社エイチ・ジェイ・エル
代表取締役社長 佐々木高行さん
(ABS11期受講、ソウルより通信科で受講)
http://www.hematolo.com/index.html

事業内容は、「最新技術による医療検査解析や研究開発」です。
白血病に代表される造血器腫瘍を、世界に唯一の技術によって
解析・分析するという社会的にも大変意義の高い分野で活躍されています。
前回までの文章はこちらにあります。↓
http://abscommunity.blog37.fc2.com/blog-category-5.html
今回は、『新しい舞台』をお届けします。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(Q、松澤 / A、佐々木さん)
Q、ABSで大前さんからインスピレーションを受けたこと以外で
具体的に影響があったようなことはありますか?
A、教えてもらった財務であるとか資本政策、はまさに今役立っています。
習ったという記憶があると、あとでそこに戻ることができます。
これはすごく貴重なことだと感じますね。
また、あのとき習った先生方とコミュニケーションを取る事が
できるということ、これもすばらしいことだなと思います。
大きな会社だとそういうことは、チャンスを掴もうと思えば
できないことはありません。でも、今のような小さい会社に
入って、大会社の枠から出てしまうと、そういう人とコンタクト
を取るのは不可能に近いのです。
アタッカーズを基盤としてコンタクトが取れるというのは
すばらしいと思います。
大企業にいたのではわからない、ありがたみを感じますね。
------------------------------
Q、やはり大会社から飛び出すと、現状とギャップを感じませんか?
ビジネスの自由度などを含め教えてください。
A、自由度と満足度は200%ですね。
一週間があっという間で、5日が1日のように感じます。
マンネリ化した大企業では一週間はものすごく長く感じますし、
命の保障はされてるけど、意気は燃えないんですよ。
前の会社を出てからはフォロワーの方々もいらっしゃって
そんな人からいろいろ相談を受けるようになりました。
東証のスピンオフセミナーで話をさせていただいたことが
あったのですが、“決断するときに最も悩むのは家族のことで、
そこを超えればまったく問題ないですよ”という話をしました。
今考えて見ても、本心で決断したなら、飛び出しても
たぶん大丈夫だと思います。もちろん、そのときは、
まだ見ぬ外の世界なので迷うとは思いますが。
特に、私のようなLateなスピンアウト派においては、
決断して飛び出す時期は、子供が高校生か大学生で一番
お金がかかる頃なわけですね。
家のローンもあと、20年ぐらい残ってるし、安定した会社に
いればいるほど、会社を出るのが怖くなるんです。
妻はまずは、大反対ですしね。そこを乗り越えるのが
第一のハードルでしょうか。
その説得には、周到な準備と本気でやりたいと信念を
熱く語る勇気が必要でしょう。もちろん、ちょっと反対された
ぐらいで止めちゃうぐらいなら、絶対に家族を説得できないと
思いますね。また、現会社が嫌で逃げ出すためにやめると
言うことでも、妻からは見透かされますね。
自分の資金で始める場合と次の会社に入る場合では相当違います。
自分の資金で始めるのも良いとは思いますが、もう一歩ステップを
踏んでもいい場合もあると思います。
あまり自信がなければ、自分の関心のある業種に入ってみて、
そこである程度自分なりの資金計画を立てて、稼いでいく。
そして次のステップでジャンプアップする。
それを受け入れるだけの土壌は日本にはあると思うのです。
また、それをサポートしてくれる企業、人材紹介会社なども
沢山有り、そんなに心配しなくても何とかなるもんだと、
今回自分でやってみてわかりました。
------------------------------
Q、そうですね。ただそういうものの中で自分にフィットする企業や
社長に出会うというのはかなり難しいと思いますが、なにか
秘訣はありますか?
A、自分の関心のある分野の記事をスクラップしたりしていました。
電車の中吊りなどでも関心を持っていることについての情報は
自然と入ってくるのです。
いつも見ない新聞とか雑誌とかにも関心をもって接することが
大事なんじゃないかと思います。
気持ちさえ持っていれば、関心事は記事の方から寄って来て
くれるというのが実感です。また、関心のある業種の情報が
あった時には、自分だったらどうやって進めていくだろうか、
という風に考えるといい練習になりますね。特に、自分の経験を
活かせるトピックを探すのが一番いいと思います。
------------------------------
Q、それではまた事業の話に戻したいのですが、オンリーワンで
あればあるほど、ニッチであればあるほど、認知してもらうのは
難しいとは思います。その点の苦労とかありますか?
A、会社を起こしたのは2003年なんですね。それから二年半くらい
経ちますが、初めは上手くいっていませんでした。
その間何をやっていたかと言えば、技術の布教活動なんですね。
技術がこういう風にいいんだと、大学の先生に布教して回りました。
特に、血液内科だとか腫瘍科だとか小児科であるとか。
こういった方に実際に血液サンプルをいただいて、分析して
解析して返してあげるという作業を繰り返していました。
スタートしたときは3名くらいの会社であったので、なかなか
すべての病院には行けませんでした。それが去年の8月くらいから
やっと認められだして、やっと学会で発表できるというところまで
きました。そしてここで一気に広報活動をしました。
実際にお試し検体をやってきちんとしたレポートを返していくと、
先生たちが認め始めてくれました。日本の医療業界は次から次へと
新しいものをやっていくという雰囲気ではないのですが、
そこが今変わり始めました。
そこが私たちの事業にとっても大転換ポイントになった気がします。
------------------------------
Q、今、実際にいくつかの病院で導入されているということは、
“どこどこの有名な先生が薦めている”といった、お墨付きという
のは強みになるんでしょうね。
A、そうですね。そこでわれわれが今一番狙っているのは研究会といわれる
ところです。ガンの研究会というのがありまして、そこのプロトコル、
治療基準を決める委員会に有用性を認めてもらおうと努めてきました。
その研究会では検査解析に関して一つの物差しが採用されます。
解析技術手法を持っている会社も一つだけ選ばれ、その検査の
方法を、傘下にある病院さんが全て使っていくということに
なるんです。
有用性が確かめられると、ほんとの基準のプロトコルとなります。
そうするとその検査解析はその会社のみに出すという風になるのです。
これまでの努力で、やっと認められて来て小児に関しては、
今年の三月から、そして大人に関しても今年の夏以降、
展開できるように今話を進めております。
------------------------------
Q、そのあとは海外に展開していかれるのですか?
A、そうですね。この技術はもともと創業者であります宮崎が、
アメリカのシアトルにありますテモトロジクス社のドクターのもとで
勉強してきたんですね。そこの会社ともコラボレーションできています。
宮崎はそこで学んだ技術をより高度なレベルまで高めてくれました。
逆にその技術をアメリカへ紹介していくという話を先方と進めています。
本当は今すぐ行きたいんですけど、いきなり弟子が来て、
一緒にビジネスしようと言ってきたら先生もびっくりしますよね。
そういうわけでアメリカは後に回して、アジアから広げていこう
と考えています。アジア展開して、中東のドバイへ行って、中近東全域。
そしてヨーロッパ、アメリカへいこうという流れで考えています。
------------------------------
Q、展開していく中で人材の確保が大変だと思うのですが、
どうされていますか?営業だけしてきた人がいきなり医者のところ
に行っても難しいと思うのですが。
A、今まではスーパーマンがいなければなりませんでした。
つまり、分析、解析ができる科学者が医者に対して話もしなければ
ならなかったんです。ところが、科学者は「先生、コレ買ってくださいよ」
という風にもう一歩を踏み出せないんですよね。
なかなか言えないですよね。科学者から見ると、お金の話は、
醜く、汚い世界のように思えるらしいのです。ましてや、
患者さんを救うと言う高度の理念で進めている仕事ですし。
でも、この技術を世界中に広めるためには、我々が生き残るしか
ないわけです。生き残るためには利益がなければならないということは、
頭ではわかるけどなかなか口では説明できないんです。
だから、科学者の人たちには分析・解析に集中してもらって、
品質を最高に高めてもらう。そして私みたいなセールスマンが
先生とお話しするというのでいいのではないのかと思います。
大事なのは先生から貰った検体に対して、分析、解析をしっかり
返すことです。先生と解析センターは結ばれて、そこできちんとした
ディスカッションができるという風にしていけばいいのです。
そうすることによって、セールスマンというのが科学者でなくても
よくなってくるんですよ。
------------------------------
Q、それでは最後に、今後の展望を教えていただけますか?
A、先程も申したように、先生から貰った検体に対して、分析、解析を
しっかりお返しし、先生と解析センターを結んで症例に対して
きちんとしたディスカッションが出来れば、セールスマン
というのが科学者でなくてもよくなり、また、先生と解析センター
が繋がっていることで、テレビ会議や、ITを利用した形で、
世界の国境を超えることができるようになります。
世界中で1300万人も白血病を含む造血器腫瘍の患者さんがいます。
出来るだけ多くの病院と結んで、一人でも助かるための器を
ドクターに提供して行きたいと思っております。
(この記事は対象企業へ取材し、作成しております。松澤)
【今回3回目で、終了です】
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
*起業家志望の読者の皆様が、ここでご紹介する方の起業していく
プロセスを知ることで、追体験していただくことが目的です。
結果的にロールモデルを作ることで、より成果が出やすい
発想や行動に 切り替わることきっかけとなることを思います!
いずれにしても是非、一緒に応援してあげて下さい!
⇒「エイチ・ジェイ・エル」 http://www.hematolo.com/index.html
この文章は大前研一のアタッカーズ・ビジネススクールが発行するメルマガ【情熱DNA】(まぐまぐ殿堂入り)にて配信した内容です。ご登録いただければ毎週水曜日、お手元に届きます。こちらから
代表取締役社長 佐々木高行さん
(ABS11期受講、ソウルより通信科で受講)
http://www.hematolo.com/index.html

事業内容は、「最新技術による医療検査解析や研究開発」です。
白血病に代表される造血器腫瘍を、世界に唯一の技術によって
解析・分析するという社会的にも大変意義の高い分野で活躍されています。
前回までの文章はこちらにあります。↓
http://abscommunity.blog37.fc2.com/blog-category-5.html
今回は、『新しい舞台』をお届けします。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(Q、松澤 / A、佐々木さん)
Q、ABSで大前さんからインスピレーションを受けたこと以外で
具体的に影響があったようなことはありますか?
A、教えてもらった財務であるとか資本政策、はまさに今役立っています。
習ったという記憶があると、あとでそこに戻ることができます。
これはすごく貴重なことだと感じますね。
また、あのとき習った先生方とコミュニケーションを取る事が
できるということ、これもすばらしいことだなと思います。
大きな会社だとそういうことは、チャンスを掴もうと思えば
できないことはありません。でも、今のような小さい会社に
入って、大会社の枠から出てしまうと、そういう人とコンタクト
を取るのは不可能に近いのです。
アタッカーズを基盤としてコンタクトが取れるというのは
すばらしいと思います。
大企業にいたのではわからない、ありがたみを感じますね。
------------------------------
Q、やはり大会社から飛び出すと、現状とギャップを感じませんか?
ビジネスの自由度などを含め教えてください。
A、自由度と満足度は200%ですね。
一週間があっという間で、5日が1日のように感じます。
マンネリ化した大企業では一週間はものすごく長く感じますし、
命の保障はされてるけど、意気は燃えないんですよ。
前の会社を出てからはフォロワーの方々もいらっしゃって
そんな人からいろいろ相談を受けるようになりました。
東証のスピンオフセミナーで話をさせていただいたことが
あったのですが、“決断するときに最も悩むのは家族のことで、
そこを超えればまったく問題ないですよ”という話をしました。
今考えて見ても、本心で決断したなら、飛び出しても
たぶん大丈夫だと思います。もちろん、そのときは、
まだ見ぬ外の世界なので迷うとは思いますが。
特に、私のようなLateなスピンアウト派においては、
決断して飛び出す時期は、子供が高校生か大学生で一番
お金がかかる頃なわけですね。
家のローンもあと、20年ぐらい残ってるし、安定した会社に
いればいるほど、会社を出るのが怖くなるんです。
妻はまずは、大反対ですしね。そこを乗り越えるのが
第一のハードルでしょうか。
その説得には、周到な準備と本気でやりたいと信念を
熱く語る勇気が必要でしょう。もちろん、ちょっと反対された
ぐらいで止めちゃうぐらいなら、絶対に家族を説得できないと
思いますね。また、現会社が嫌で逃げ出すためにやめると
言うことでも、妻からは見透かされますね。
自分の資金で始める場合と次の会社に入る場合では相当違います。
自分の資金で始めるのも良いとは思いますが、もう一歩ステップを
踏んでもいい場合もあると思います。
あまり自信がなければ、自分の関心のある業種に入ってみて、
そこである程度自分なりの資金計画を立てて、稼いでいく。
そして次のステップでジャンプアップする。
それを受け入れるだけの土壌は日本にはあると思うのです。
また、それをサポートしてくれる企業、人材紹介会社なども
沢山有り、そんなに心配しなくても何とかなるもんだと、
今回自分でやってみてわかりました。
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Q、そうですね。ただそういうものの中で自分にフィットする企業や
社長に出会うというのはかなり難しいと思いますが、なにか
秘訣はありますか?
A、自分の関心のある分野の記事をスクラップしたりしていました。
電車の中吊りなどでも関心を持っていることについての情報は
自然と入ってくるのです。
いつも見ない新聞とか雑誌とかにも関心をもって接することが
大事なんじゃないかと思います。
気持ちさえ持っていれば、関心事は記事の方から寄って来て
くれるというのが実感です。また、関心のある業種の情報が
あった時には、自分だったらどうやって進めていくだろうか、
という風に考えるといい練習になりますね。特に、自分の経験を
活かせるトピックを探すのが一番いいと思います。
------------------------------
Q、それではまた事業の話に戻したいのですが、オンリーワンで
あればあるほど、ニッチであればあるほど、認知してもらうのは
難しいとは思います。その点の苦労とかありますか?
A、会社を起こしたのは2003年なんですね。それから二年半くらい
経ちますが、初めは上手くいっていませんでした。
その間何をやっていたかと言えば、技術の布教活動なんですね。
技術がこういう風にいいんだと、大学の先生に布教して回りました。
特に、血液内科だとか腫瘍科だとか小児科であるとか。
こういった方に実際に血液サンプルをいただいて、分析して
解析して返してあげるという作業を繰り返していました。
スタートしたときは3名くらいの会社であったので、なかなか
すべての病院には行けませんでした。それが去年の8月くらいから
やっと認められだして、やっと学会で発表できるというところまで
きました。そしてここで一気に広報活動をしました。
実際にお試し検体をやってきちんとしたレポートを返していくと、
先生たちが認め始めてくれました。日本の医療業界は次から次へと
新しいものをやっていくという雰囲気ではないのですが、
そこが今変わり始めました。
そこが私たちの事業にとっても大転換ポイントになった気がします。
------------------------------
Q、今、実際にいくつかの病院で導入されているということは、
“どこどこの有名な先生が薦めている”といった、お墨付きという
のは強みになるんでしょうね。
A、そうですね。そこでわれわれが今一番狙っているのは研究会といわれる
ところです。ガンの研究会というのがありまして、そこのプロトコル、
治療基準を決める委員会に有用性を認めてもらおうと努めてきました。
その研究会では検査解析に関して一つの物差しが採用されます。
解析技術手法を持っている会社も一つだけ選ばれ、その検査の
方法を、傘下にある病院さんが全て使っていくということに
なるんです。
有用性が確かめられると、ほんとの基準のプロトコルとなります。
そうするとその検査解析はその会社のみに出すという風になるのです。
これまでの努力で、やっと認められて来て小児に関しては、
今年の三月から、そして大人に関しても今年の夏以降、
展開できるように今話を進めております。
------------------------------
Q、そのあとは海外に展開していかれるのですか?
A、そうですね。この技術はもともと創業者であります宮崎が、
アメリカのシアトルにありますテモトロジクス社のドクターのもとで
勉強してきたんですね。そこの会社ともコラボレーションできています。
宮崎はそこで学んだ技術をより高度なレベルまで高めてくれました。
逆にその技術をアメリカへ紹介していくという話を先方と進めています。
本当は今すぐ行きたいんですけど、いきなり弟子が来て、
一緒にビジネスしようと言ってきたら先生もびっくりしますよね。
そういうわけでアメリカは後に回して、アジアから広げていこう
と考えています。アジア展開して、中東のドバイへ行って、中近東全域。
そしてヨーロッパ、アメリカへいこうという流れで考えています。
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Q、展開していく中で人材の確保が大変だと思うのですが、
どうされていますか?営業だけしてきた人がいきなり医者のところ
に行っても難しいと思うのですが。
A、今まではスーパーマンがいなければなりませんでした。
つまり、分析、解析ができる科学者が医者に対して話もしなければ
ならなかったんです。ところが、科学者は「先生、コレ買ってくださいよ」
という風にもう一歩を踏み出せないんですよね。
なかなか言えないですよね。科学者から見ると、お金の話は、
醜く、汚い世界のように思えるらしいのです。ましてや、
患者さんを救うと言う高度の理念で進めている仕事ですし。
でも、この技術を世界中に広めるためには、我々が生き残るしか
ないわけです。生き残るためには利益がなければならないということは、
頭ではわかるけどなかなか口では説明できないんです。
だから、科学者の人たちには分析・解析に集中してもらって、
品質を最高に高めてもらう。そして私みたいなセールスマンが
先生とお話しするというのでいいのではないのかと思います。
大事なのは先生から貰った検体に対して、分析、解析をしっかり
返すことです。先生と解析センターは結ばれて、そこできちんとした
ディスカッションができるという風にしていけばいいのです。
そうすることによって、セールスマンというのが科学者でなくても
よくなってくるんですよ。
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Q、それでは最後に、今後の展望を教えていただけますか?
A、先程も申したように、先生から貰った検体に対して、分析、解析を
しっかりお返しし、先生と解析センターを結んで症例に対して
きちんとしたディスカッションが出来れば、セールスマン
というのが科学者でなくてもよくなり、また、先生と解析センター
が繋がっていることで、テレビ会議や、ITを利用した形で、
世界の国境を超えることができるようになります。
世界中で1300万人も白血病を含む造血器腫瘍の患者さんがいます。
出来るだけ多くの病院と結んで、一人でも助かるための器を
ドクターに提供して行きたいと思っております。
(この記事は対象企業へ取材し、作成しております。松澤)
【今回3回目で、終了です】
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
*起業家志望の読者の皆様が、ここでご紹介する方の起業していく
プロセスを知ることで、追体験していただくことが目的です。
結果的にロールモデルを作ることで、より成果が出やすい
発想や行動に 切り替わることきっかけとなることを思います!
いずれにしても是非、一緒に応援してあげて下さい!
⇒「エイチ・ジェイ・エル」 http://www.hematolo.com/index.html
この文章は大前研一のアタッカーズ・ビジネススクールが発行するメルマガ【情熱DNA】(まぐまぐ殿堂入り)にて配信した内容です。ご登録いただければ毎週水曜日、お手元に届きます。こちらから
株式会社エイチ・ジェイ・エル代表取締役社長 佐々木高行さん Vol.2
前回に引き続きご紹介するのは、株式会社エイチ・ジェイ・エル
代表取締役社長 佐々木高行さん
(ABS11期受講、ソウルより通信科で受講)
http://www.hematolo.com/index.html
事業内容は、「最新技術による医療検査解析や研究開発」です。
白血病に代表される造血器腫瘍を、世界に唯一の技術によって
解析・分析するという社会的にも大変意義の高い分野で活躍されています。
前回の文章はこちらにあります。↓
http://abscommunity.blog37.fc2.com/blog-entry-88.html
今回は、『転機』をお届けします。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(Q、松澤 / A、佐々木さん)
Q、ソニーを辞めてHJLに移られたということですが、どういう経緯で
HJLを起こしておられた宮崎さんと出会われたのですか?
A、ABSを通信科で受講していた韓国駐在から帰ってきて、
新しいビジネスを起こすというプロジェクトに携わっていました。
しかし、それが諸事情があって頓挫してしまいました。
それでも仕事はあったので、残っていれば定年まで働けたのですが、
もう少しいろいろやってみたいという気持ちを強く持っておりました。
それで人材紹介会社等に相談していたのですが、それらを通じて今
の会社を知り、宮崎と出会いました。
何度か話をしていくなかで、ソニー時代に、私が考えていた、
”人に貢献できる”、”シリアスな分野の仕事”であり、かつ、
創業者の宮崎が”国内に限らない、グローバルビジネス展開”
に理解を十分持っており、今後一緒にやっていく上で、自分の
専門性が活かせると思ったことがあります。
また、出来たばかりのベンチャーでしたから、失敗も成功も自分次第
であったことでしょうか。
それに、HJLの保持している技術がこれまで知られていない物ですが
世界で通用するものであり競争力があると考えたことも、転職を決めた
重要な要素でした。

------------------------------
Q、30年、同じ会社におられ、そのままいれば定年までいて退職金を
もらってという安定した暮らしが保証されていたと思います。
踏み切られる時には勇気がいったと思うのですがいかがですか?
A、そうですね。50代にもなっていますし、このまま残ると、
将来的には定年も延びるかもしれないとも考えていました。
しかし、種々内外の環境変化で、会社として、少しおとなしく
なりすぎたと考えていたというところがありました。
私としては、歳にもめげず、もっと暴れるというか、思いっきり
やってみたいと思っておりました。しかし、会社は成功確率が
高いものに集中しなければならない状況にありましたので
このままでは、あまり冒険できない環境という実感がありました。
また75歳(笑)まで働きたいと考えていましたし、より活躍できる
ところに行きたいと考えていました 。
------------------------------
Q、心境の変化、環境の変化、いい出会いが重なって、これだったら次の
ビジネス人生をかけてもいいと思われたんですね。
最終的にはなにが自分を後押ししたんですか?
A、数手なりますが、一つは自分のキャリアが活かせるだろうと思った
ことですね。
何かをする時は、過去の時間を掛けて作ってきた経験が活きる
ということが大事だと思います。私のキャリアは、ワールドワイドな
展開力と異文化でのマネジメント力に自信がありました。
日本でのビジネス経験のほか、韓国、フィリピン、中東全域を
担当して、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、韓国では長年
駐在もしておりました。
過去に海外に駐在した経験もさることながら、日本に帰ってきて
担当したメディカルチームがワールドワイドで存在しており、
それらアメリカ、ヨーロッパのチームとも一緒にビジネス展開し、
医療現場での経験、異文化間でのコミュニケーション能力等でやれる
自信がありました。
もちろん、現職業の内容は、そのときの対象とは全くかけ離れて
おりますが、その一番先にいるのは、患者さんという意味では
全く違いはありませんでした。
- - - - - - - - - - -
また、実は、私自身、前職時代にヘルパー2級(訪問看護士)の免許を
取得しており、どんな業界でも、現場に全ての「要求」とその「答え」
が有ると言う事を体得してきたつもりでした。
今は、現職を通じて、世界中の白血病の患者さんの笑って病院から
退院する姿を、ドクターの後ろから見送って行きたいと思っております。
業種は異なっても、現場で苦しむ患者さんへの献身、社会貢献という
大義名分も後押ししてくれています。
------------------------------
Q、さて話は変わりますが、ソウル在住の時、ABSを通信科で受講されま
したね。開講式はお越しになり、一番前に座っておられたのが印象的です。
アタッカーズに来られた理由、そして学んだこと教えていただけますか?
A、今回ここまで来たのはアタッカーズのおかげです。率直に言えます。
本当は通いたかったのですが、韓国から通うのはちょっと難しい
ものがあり通信科での受講となりました。
受講した理由のひとつは、会社の中で新しいプロジェクトが
できたらなぁと思っていたことです。あの時は会社を辞めるとは
想像もしていませんでした。会社の中でプロジェクトを進行していく、
事業を起こしていくということを勉強したいと思っての受講でした。
当時はどこもリストラをしていた時期ですが、前会社は、
豊富な人員を使って、新規ビジネス展開をしてみるという
ことに関心はあったようです。小さいビジネスであれば、
その程度の資金はあったわけで。
そこで、講義の時、大前さんに質問しました。
今でも覚えています。私が、
「ABSで学んで起業しても、大企業が新しいことを
やりだしたら立ち向かえるはずがないんじゃないですか?」
と質問すると、大前塾長から
「僕も昔日立にいたんだけど、そんなことは大企業にいた
場合は難しいよ。ひとつは足引っ張るやつが必ずいる。
もうひとつは事業化して、スタートするにしても事業化するには
すごい時間がかかる。
そして、そのとき引き上げてくれた上司がこのままずっと
残るとは限らない。どっかいっちゃうと、そのプロジェクトは
潰れてしまう可能性がある。そんなことがいっぱいあり、
すごい時間がかかる。そんな時間に耐えられると思いますか?
それだったら自分で起こしたほうが早いよ」
と。。
”確かにそうだな”と思いました。
その後、結局会社の中でその通りになりました。
何年かして、またトライしてみましたが、またその通りになり、
”やはり難しい”のだなと思いましたね。
そしたら、自分でやったほうが早いなと改めて思いましたよ。
大前さんの言葉が完全にきっかけになりました。。
●次回は『新しい舞台』についてお伝え致します。ご期待ください。
(この記事は対象企業へ取材し、作成しております。松澤)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
*起業家志望の読者の皆様が、ここでご紹介する方の起業していく
プロセスを知ることで、追体験していただくことが目的です。
結果的にロールモデルを作ることで、より成果が出やすい
発想や行動に 切り替わることきっかけとなることを思います!
いずれにしても是非、一緒に応援してあげて下さい!
⇒「エイチ・ジェイ・エル」 http://www.hematolo.com/index.html
この文章は大前研一のアタッカーズ・ビジネススクールが発行するメルマガ【情熱DNA】(まぐまぐ殿堂入り)にて配信した内容です。ご登録いただければ毎週水曜日、お手元に届きます。こちらから
代表取締役社長 佐々木高行さん
(ABS11期受講、ソウルより通信科で受講)
http://www.hematolo.com/index.html
事業内容は、「最新技術による医療検査解析や研究開発」です。
白血病に代表される造血器腫瘍を、世界に唯一の技術によって
解析・分析するという社会的にも大変意義の高い分野で活躍されています。
前回の文章はこちらにあります。↓
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今回は、『転機』をお届けします。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(Q、松澤 / A、佐々木さん)
Q、ソニーを辞めてHJLに移られたということですが、どういう経緯で
HJLを起こしておられた宮崎さんと出会われたのですか?
A、ABSを通信科で受講していた韓国駐在から帰ってきて、
新しいビジネスを起こすというプロジェクトに携わっていました。
しかし、それが諸事情があって頓挫してしまいました。
それでも仕事はあったので、残っていれば定年まで働けたのですが、
もう少しいろいろやってみたいという気持ちを強く持っておりました。
それで人材紹介会社等に相談していたのですが、それらを通じて今
の会社を知り、宮崎と出会いました。
何度か話をしていくなかで、ソニー時代に、私が考えていた、
”人に貢献できる”、”シリアスな分野の仕事”であり、かつ、
創業者の宮崎が”国内に限らない、グローバルビジネス展開”
に理解を十分持っており、今後一緒にやっていく上で、自分の
専門性が活かせると思ったことがあります。
また、出来たばかりのベンチャーでしたから、失敗も成功も自分次第
であったことでしょうか。
それに、HJLの保持している技術がこれまで知られていない物ですが
世界で通用するものであり競争力があると考えたことも、転職を決めた
重要な要素でした。

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Q、30年、同じ会社におられ、そのままいれば定年までいて退職金を
もらってという安定した暮らしが保証されていたと思います。
踏み切られる時には勇気がいったと思うのですがいかがですか?
A、そうですね。50代にもなっていますし、このまま残ると、
将来的には定年も延びるかもしれないとも考えていました。
しかし、種々内外の環境変化で、会社として、少しおとなしく
なりすぎたと考えていたというところがありました。
私としては、歳にもめげず、もっと暴れるというか、思いっきり
やってみたいと思っておりました。しかし、会社は成功確率が
高いものに集中しなければならない状況にありましたので
このままでは、あまり冒険できない環境という実感がありました。
また75歳(笑)まで働きたいと考えていましたし、より活躍できる
ところに行きたいと考えていました 。
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Q、心境の変化、環境の変化、いい出会いが重なって、これだったら次の
ビジネス人生をかけてもいいと思われたんですね。
最終的にはなにが自分を後押ししたんですか?
A、数手なりますが、一つは自分のキャリアが活かせるだろうと思った
ことですね。
何かをする時は、過去の時間を掛けて作ってきた経験が活きる
ということが大事だと思います。私のキャリアは、ワールドワイドな
展開力と異文化でのマネジメント力に自信がありました。
日本でのビジネス経験のほか、韓国、フィリピン、中東全域を
担当して、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、韓国では長年
駐在もしておりました。
過去に海外に駐在した経験もさることながら、日本に帰ってきて
担当したメディカルチームがワールドワイドで存在しており、
それらアメリカ、ヨーロッパのチームとも一緒にビジネス展開し、
医療現場での経験、異文化間でのコミュニケーション能力等でやれる
自信がありました。
もちろん、現職業の内容は、そのときの対象とは全くかけ離れて
おりますが、その一番先にいるのは、患者さんという意味では
全く違いはありませんでした。
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また、実は、私自身、前職時代にヘルパー2級(訪問看護士)の免許を
取得しており、どんな業界でも、現場に全ての「要求」とその「答え」
が有ると言う事を体得してきたつもりでした。
今は、現職を通じて、世界中の白血病の患者さんの笑って病院から
退院する姿を、ドクターの後ろから見送って行きたいと思っております。
業種は異なっても、現場で苦しむ患者さんへの献身、社会貢献という
大義名分も後押ししてくれています。
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Q、さて話は変わりますが、ソウル在住の時、ABSを通信科で受講されま
したね。開講式はお越しになり、一番前に座っておられたのが印象的です。
アタッカーズに来られた理由、そして学んだこと教えていただけますか?
A、今回ここまで来たのはアタッカーズのおかげです。率直に言えます。
本当は通いたかったのですが、韓国から通うのはちょっと難しい
ものがあり通信科での受講となりました。
受講した理由のひとつは、会社の中で新しいプロジェクトが
できたらなぁと思っていたことです。あの時は会社を辞めるとは
想像もしていませんでした。会社の中でプロジェクトを進行していく、
事業を起こしていくということを勉強したいと思っての受講でした。
当時はどこもリストラをしていた時期ですが、前会社は、
豊富な人員を使って、新規ビジネス展開をしてみるという
ことに関心はあったようです。小さいビジネスであれば、
その程度の資金はあったわけで。
そこで、講義の時、大前さんに質問しました。
今でも覚えています。私が、
「ABSで学んで起業しても、大企業が新しいことを
やりだしたら立ち向かえるはずがないんじゃないですか?」
と質問すると、大前塾長から
「僕も昔日立にいたんだけど、そんなことは大企業にいた
場合は難しいよ。ひとつは足引っ張るやつが必ずいる。
もうひとつは事業化して、スタートするにしても事業化するには
すごい時間がかかる。
そして、そのとき引き上げてくれた上司がこのままずっと
残るとは限らない。どっかいっちゃうと、そのプロジェクトは
潰れてしまう可能性がある。そんなことがいっぱいあり、
すごい時間がかかる。そんな時間に耐えられると思いますか?
それだったら自分で起こしたほうが早いよ」
と。。
”確かにそうだな”と思いました。
その後、結局会社の中でその通りになりました。
何年かして、またトライしてみましたが、またその通りになり、
”やはり難しい”のだなと思いましたね。
そしたら、自分でやったほうが早いなと改めて思いましたよ。
大前さんの言葉が完全にきっかけになりました。。
●次回は『新しい舞台』についてお伝え致します。ご期待ください。
(この記事は対象企業へ取材し、作成しております。松澤)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
*起業家志望の読者の皆様が、ここでご紹介する方の起業していく
プロセスを知ることで、追体験していただくことが目的です。
結果的にロールモデルを作ることで、より成果が出やすい
発想や行動に 切り替わることきっかけとなることを思います!
いずれにしても是非、一緒に応援してあげて下さい!
⇒「エイチ・ジェイ・エル」 http://www.hematolo.com/index.html
この文章は大前研一のアタッカーズ・ビジネススクールが発行するメルマガ【情熱DNA】(まぐまぐ殿堂入り)にて配信した内容です。ご登録いただければ毎週水曜日、お手元に届きます。こちらから
株式会社エイチ・ジェイ・エル 代表取締役社長 佐々木高行さん Vol.1
今回ご紹介するのは、株式会社エイチ・ジェイ・エル
代表取締役社長 佐々木高行さん
(ABS11期受講、ソウルより通信科で受講)
http://www.hematolo.com/index.html
事業内容は、「最新技術による医療検査解析や研究開発」です。
白血病に代表される造血器腫瘍を、世界に唯一の技術によって
解析・分析するという社会的にも大変意義の高い分野で活躍されています。
しかしながら、佐々木さんがその技術を開発したわけではなく、
立ち上げから関わられていたわけでもありません。
オンリーワンの技術と熱い思いをもつ、創業者の右腕として
今の会社に入られ、現在は社長として更なる発展へと向かい邁進して
いらっしゃいます。
事業立上げに携わる様々なパターンを理解していただくためにも、
既成概念を打ち破り、突き進む、佐々木さんのストーリーを紐解こう!
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(Q、松澤 / A、佐々木さん)
Q、今取り組まれている事業の内容について、簡単に教えてください。
A、私どもの会社はHJL(Humancell Japan Laboratories)
と言います。主な事業内容は、白血病を中心とする癌化した血液
細胞を検査し、さらに解析を行うと言う業務であります。
分析・解析した情報をドクターに提供することで、その対価を
検査・解析費用として頂き、売り上げとさせて頂いております。
現在、日本人の死因のNO,1は癌ですが、癌の中には、大きく分けて
2種類あって、固体癌と流体癌に分けることができます。
私どもが、ターゲットとしているのは流体癌と言われる白血病・
悪性リンパ腫等を中心とする造血器腫瘍というものです。
約15万人から20万人ほどの患者さんが日本にはいらっしゃいますが、
そのうちの約2万人の方が毎年亡くなられています。
治癒率ということで言いますと、40%程度であり、約60%の方が
亡くなられています。
そこで、私どもの会社では、その60%以上の方が助けるという
ことを狙いに治癒率の向上に寄与して行きたいと考えております。
それを可能とする技術は、
MDF(Multi Dimensional Flow Cytometry)と呼ばれるものです。
このMDFと呼ばれる技術は元々、アメリカで開発された技術で
はありますが、弊社にて全く新しい技術に生まれ変わり、世界に
一つしかございません。
技術はもちろん日本人に限らず、全世界的に通用するもので、
推定1300万人の患者さんへの提供を出来るだけ早く実現できる
事を夢見ております。
現在、特許申請中ですが、ワールドパテントも取得できれば、
より積極的に世界展開をして行こうと考えております。
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
この会社は、2年半前に弊社の現CTOである宮崎が、
起業したものです。彼はサイエンティストで、会社が大きくなる
につれ、また更に今後、海外に展開していくに当たり、より、
サイエンス分野での技術確立、新規技術の開発が必要で、
それに邁進したいと考えておりました。
一方、私はこれまでの経歴が日本他、他国での
マネジメント・マーケティング・セールスで有ったものですから
互いに得手な部分をして、お互い補う事が出来ると意気投合し、
昨年の8月から現在の形でスタートしました。
------------------------------
Q、これができることで社会において達成しうるビジョンに、私は感銘を
受けたのですが、改めてそのビジョンについてお話しいただけますか?
A、本来、白血病にかかりますと日本では、約500万円から1000万円
近い治療費用がかかります。保険対象のものと、そうでないもの
とありますが、だいたいそれくらいの治療金額の費用がかかっています。
アメリカ、韓国では2000万円近い費用がかかっているといわれます。
それ以外に、抗ガン剤を投与し、体の免疫機能を完全にストップ
させるため、無菌室と言う特別な病室に入院して頂く必要があります。
それらを入れて、全体として、莫大な費用の入院費もかかっておりま
す。もちろん、患者様における精神的な不安、治療のための環境作り、
小児患者様の場合だと、そのご両親付き添い等に付き、言わずもがな、
そのご両親には、お金に換算できない、大変なご苦労があるわけです。
みなさんのイメージの中に白血病にかかると、即、死に直結すると
お考えの向きもあるかと思いますが、現在は、そうではなくなって
きております。
実際は、6週間ほどかけて少しずつ抗ガン剤を投与して行き、
徐々に、腫瘍細胞を減少させてゆきます。発病時に約1兆個あると
言われる腫瘍細胞が10億個位まで減少して来ると、伝統的な
顕微鏡検査では腫瘍細胞状態を確認することができない、
「完解」(かんかい)と言う状態まで達する事が出来ます。
体調も良くなるため、一見治ったような状態になります。
しかし、実際には、10億個もの細胞がまだ体内にはあると言
われます。この「完解」状態の後に、不幸にして、再発して
しまう事もあります。
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
私たちのMDF技術では、この「完解」状態での正常・異常細胞の
両方の状態をモニターする事ができます。
つまり、異常細胞の検出はこれまでの遺伝子検査等で、
大変感度の良い検査法も実用化されており、腫瘍細胞の有無は
確認できますが、その腫瘍細胞の今後、つまり、増加して行くのか、
減少して行くのかは中々、判定出来ないで、いたわけです。
また、健康そうな細胞についても、その後、腫瘍化するかもしれない
状況をモニターする事が出来る技術であります。
そうする事で、「完解」状態後、再発する前に手を打つことが
出来るのではないかと考えております。
また、抗ガン剤はもともと、副作用が強いため、出来れば長く、
使用したくないものです。そこで、この技術を応用することで、
ドクターの抗ガン剤の投与中止・継続等の決断にとって有効な技術
として提供出来ると信じております。
QOL(quality of life)といった見地からも、できるだけ、
短期間で退院することができれば、社会に果たす役割は
非常に大きなものだと言えます。
最近では、この悪性腫瘍など50歳以上に増加傾向が見られます。
昨日まで、健康で元気な方だったのに、突然発症すると言う病気
で、私の周りにも、実に3名最近罹患した患者さんもいらっしゃいます。
もちろん、今後、新しい治療方法そのものの開発も有ると信じて
おりますが、その治療そのものが癌戦場での「戦い」とすると、
私どもの技術は、激戦中のドクターを高い空中にお連れし、
「眼下の戦況を見て、次の一手をお考え頂ける技術」
だと言えるのではないかと思います。
社会的に、非常に意義のあることだと考えています。
------------------------------
Q、それでは話は変わりますが、佐々木さんのこれまでのキャリアに
ついて教えてください。
A、私は1976年にソニーに入社いたしました。
学校を卒業して、すぐに就職したわけですが、30年間
勤めていました。
ソニーは、一般の家庭向けに電化製品を売っている業務と、
法人を相手に営業を行っている業務がありましたが、私は、
法人のお客様を相手にする方の業務に携わっていました。
私がお相手をさせていただいたところは、放送局、民間企業、
役所をはじめとし、学校や研究機関、そして病院などです。
病院では、脳神経外科や耳鼻咽喉科で用いられる手術顕微鏡に
使われる、高精細度のカメラシステムや、超音波診断装置
のプリンター等の導入を医療機器メーカーさんとともに
行っていました。
ソニーは、エンターティメントで知られている中で、
この分野だけは、事業領域が異なり非常にシリアスなお客様を
相手にしているところでした。エンターティメント領域で社会に
貢献することもできますが、もっとよりシリアスな領域での
仕事に携わっていきたいと思っていました。。。
(この記事は対象企業へ取材し、作成しております。松澤)
●次回は『転機』についてお伝え致します。ご期待ください。
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*起業家志望の読者の皆様が、ここでご紹介する方の起業していく
プロセスを知ることで、追体験していただくことが目的です。
結果的にロールモデルを作ることで、より成果が出やすい
発想や行動に 切り替わることきっかけとなることを思います!
いずれにしても是非、一緒に応援してあげて下さい!
⇒「エイチ・ジェイ・エル」 http://www.hematolo.com/index.html
この文章は大前研一のアタッカーズ・ビジネススクールが発行するメルマガ【情熱DNA】(まぐまぐ殿堂入り)にて配信した内容です。ご登録いただければ毎週水曜日、お手元に届きます。こちらから
代表取締役社長 佐々木高行さん
(ABS11期受講、ソウルより通信科で受講)
http://www.hematolo.com/index.html
事業内容は、「最新技術による医療検査解析や研究開発」です。
白血病に代表される造血器腫瘍を、世界に唯一の技術によって
解析・分析するという社会的にも大変意義の高い分野で活躍されています。
しかしながら、佐々木さんがその技術を開発したわけではなく、
立ち上げから関わられていたわけでもありません。
オンリーワンの技術と熱い思いをもつ、創業者の右腕として
今の会社に入られ、現在は社長として更なる発展へと向かい邁進して
いらっしゃいます。
事業立上げに携わる様々なパターンを理解していただくためにも、
既成概念を打ち破り、突き進む、佐々木さんのストーリーを紐解こう!
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(Q、松澤 / A、佐々木さん)
Q、今取り組まれている事業の内容について、簡単に教えてください。
A、私どもの会社はHJL(Humancell Japan Laboratories)
と言います。主な事業内容は、白血病を中心とする癌化した血液
細胞を検査し、さらに解析を行うと言う業務であります。
分析・解析した情報をドクターに提供することで、その対価を
検査・解析費用として頂き、売り上げとさせて頂いております。
現在、日本人の死因のNO,1は癌ですが、癌の中には、大きく分けて
2種類あって、固体癌と流体癌に分けることができます。
私どもが、ターゲットとしているのは流体癌と言われる白血病・
悪性リンパ腫等を中心とする造血器腫瘍というものです。
約15万人から20万人ほどの患者さんが日本にはいらっしゃいますが、
そのうちの約2万人の方が毎年亡くなられています。
治癒率ということで言いますと、40%程度であり、約60%の方が
亡くなられています。
そこで、私どもの会社では、その60%以上の方が助けるという
ことを狙いに治癒率の向上に寄与して行きたいと考えております。
それを可能とする技術は、
MDF(Multi Dimensional Flow Cytometry)と呼ばれるものです。
このMDFと呼ばれる技術は元々、アメリカで開発された技術で
はありますが、弊社にて全く新しい技術に生まれ変わり、世界に
一つしかございません。
技術はもちろん日本人に限らず、全世界的に通用するもので、
推定1300万人の患者さんへの提供を出来るだけ早く実現できる
事を夢見ております。
現在、特許申請中ですが、ワールドパテントも取得できれば、
より積極的に世界展開をして行こうと考えております。
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この会社は、2年半前に弊社の現CTOである宮崎が、
起業したものです。彼はサイエンティストで、会社が大きくなる
につれ、また更に今後、海外に展開していくに当たり、より、
サイエンス分野での技術確立、新規技術の開発が必要で、
それに邁進したいと考えておりました。
一方、私はこれまでの経歴が日本他、他国での
マネジメント・マーケティング・セールスで有ったものですから
互いに得手な部分をして、お互い補う事が出来ると意気投合し、
昨年の8月から現在の形でスタートしました。
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Q、これができることで社会において達成しうるビジョンに、私は感銘を
受けたのですが、改めてそのビジョンについてお話しいただけますか?
A、本来、白血病にかかりますと日本では、約500万円から1000万円
近い治療費用がかかります。保険対象のものと、そうでないもの
とありますが、だいたいそれくらいの治療金額の費用がかかっています。
アメリカ、韓国では2000万円近い費用がかかっているといわれます。
それ以外に、抗ガン剤を投与し、体の免疫機能を完全にストップ
させるため、無菌室と言う特別な病室に入院して頂く必要があります。
それらを入れて、全体として、莫大な費用の入院費もかかっておりま
す。もちろん、患者様における精神的な不安、治療のための環境作り、
小児患者様の場合だと、そのご両親付き添い等に付き、言わずもがな、
そのご両親には、お金に換算できない、大変なご苦労があるわけです。
みなさんのイメージの中に白血病にかかると、即、死に直結すると
お考えの向きもあるかと思いますが、現在は、そうではなくなって
きております。
実際は、6週間ほどかけて少しずつ抗ガン剤を投与して行き、
徐々に、腫瘍細胞を減少させてゆきます。発病時に約1兆個あると
言われる腫瘍細胞が10億個位まで減少して来ると、伝統的な
顕微鏡検査では腫瘍細胞状態を確認することができない、
「完解」(かんかい)と言う状態まで達する事が出来ます。
体調も良くなるため、一見治ったような状態になります。
しかし、実際には、10億個もの細胞がまだ体内にはあると言
われます。この「完解」状態の後に、不幸にして、再発して
しまう事もあります。
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
私たちのMDF技術では、この「完解」状態での正常・異常細胞の
両方の状態をモニターする事ができます。
つまり、異常細胞の検出はこれまでの遺伝子検査等で、
大変感度の良い検査法も実用化されており、腫瘍細胞の有無は
確認できますが、その腫瘍細胞の今後、つまり、増加して行くのか、
減少して行くのかは中々、判定出来ないで、いたわけです。
また、健康そうな細胞についても、その後、腫瘍化するかもしれない
状況をモニターする事が出来る技術であります。
そうする事で、「完解」状態後、再発する前に手を打つことが
出来るのではないかと考えております。
また、抗ガン剤はもともと、副作用が強いため、出来れば長く、
使用したくないものです。そこで、この技術を応用することで、
ドクターの抗ガン剤の投与中止・継続等の決断にとって有効な技術
として提供出来ると信じております。
QOL(quality of life)といった見地からも、できるだけ、
短期間で退院することができれば、社会に果たす役割は
非常に大きなものだと言えます。
最近では、この悪性腫瘍など50歳以上に増加傾向が見られます。
昨日まで、健康で元気な方だったのに、突然発症すると言う病気
で、私の周りにも、実に3名最近罹患した患者さんもいらっしゃいます。
もちろん、今後、新しい治療方法そのものの開発も有ると信じて
おりますが、その治療そのものが癌戦場での「戦い」とすると、
私どもの技術は、激戦中のドクターを高い空中にお連れし、
「眼下の戦況を見て、次の一手をお考え頂ける技術」
だと言えるのではないかと思います。
社会的に、非常に意義のあることだと考えています。
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Q、それでは話は変わりますが、佐々木さんのこれまでのキャリアに
ついて教えてください。
A、私は1976年にソニーに入社いたしました。
学校を卒業して、すぐに就職したわけですが、30年間
勤めていました。
ソニーは、一般の家庭向けに電化製品を売っている業務と、
法人を相手に営業を行っている業務がありましたが、私は、
法人のお客様を相手にする方の業務に携わっていました。
私がお相手をさせていただいたところは、放送局、民間企業、
役所をはじめとし、学校や研究機関、そして病院などです。
病院では、脳神経外科や耳鼻咽喉科で用いられる手術顕微鏡に
使われる、高精細度のカメラシステムや、超音波診断装置
のプリンター等の導入を医療機器メーカーさんとともに
行っていました。
ソニーは、エンターティメントで知られている中で、
この分野だけは、事業領域が異なり非常にシリアスなお客様を
相手にしているところでした。エンターティメント領域で社会に
貢献することもできますが、もっとよりシリアスな領域での
仕事に携わっていきたいと思っていました。。。
(この記事は対象企業へ取材し、作成しております。松澤)
●次回は『転機』についてお伝え致します。ご期待ください。
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*起業家志望の読者の皆様が、ここでご紹介する方の起業していく
プロセスを知ることで、追体験していただくことが目的です。
結果的にロールモデルを作ることで、より成果が出やすい
発想や行動に 切り替わることきっかけとなることを思います!
いずれにしても是非、一緒に応援してあげて下さい!
⇒「エイチ・ジェイ・エル」 http://www.hematolo.com/index.html
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